戦後日本の小さな小さな謎

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

戦後日本の小さな小さな謎の種明かしをします。
こんな話は、ここでしかできませんのでね。

かつて、某県に通称●●と呼ばれる町がありました。
伏せ字で恐縮ですが、古い地元民は、頭文字だけでピンと来てしまうでしょうから。
●●の広さは、約3万坪。
人口密度は異常に高く、最盛期には1万人近くいたと思います。

アパートの屋上や道路にまで違法バラック小屋がみっちり立ち並び、その隙間を細い路地が曲がりくねるという、いわば九龍城状態の町でした。

●●は被差別部落とは違い(よく混同されましたが)、住民の多くは○関係者、ゴ○屋、テ○ヤなど。
●●内での婚姻が多かったため、町全体が一族郎党のような絶対の結束力と軍事力?を持ち、この地方の方言とは違う独自のコトバを操っていました。

さて、この●●は、「人間が消える町」としても恐れられていました。
●●に敵対するヨソモノは、入り込んだが最後、あとかたもなく掻き消えてしまうのです。
彼ら(というより、彼らの○○)は、一体どこに消えたのでしょう?

当時はまだ上下水道がなかったので、ナマモノを地面に埋めるのは不衛生。
第一、超過密で埋める場所などありません。
かといって、放り込む海や川、池もない。
出入りの車はしばしば取締まりを受けたので、町の外に運び出すのも危険です。

外の人々は「●●が喰ったんだ」と陰口を叩いていましたが、いくら何でも喰いはしません。

実は、●●には○○○湯という大きな銭湯があり、昔ながらに薪で湯を沸かしていました。
この○○○湯が、たまにひどく魚肉臭かったわけです。
住民は皆気づいていましたが、そこは運命共同体、誰も何も言いませんでした。
臭いと言っても、馴れてしまえば、むしろ香ばしく感じるほど。
子供の頃は悪ガキ同士で髪を嗅ぎ合い、「クセー!」とふざけたりしましたが、耐えがたいほどの臭気とは、誰も感じていなかったはずです。

●●は、行政による20年がかりの「撲滅キャンペーン」の末、80年代に町ごと一掃されてしまいました。
今は、町名さえ残っていません。

現在、●●の跡地は巨大な公団村となり、美しい白亜の高層団地が並んでいます。
皆さんの子供の頃には、幻想的で美しい謎なり記憶なりが多いようですが、私の子供時代は、まだこんなふうでした。

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