英国の有名な都市伝説

カテゴリー「怪奇スポット」

1584年のこと、英国のウォルター・ローリー率いる北米探検隊は、大西洋沿岸にあるローノーク島(現ノースカロライナ州)に上陸した。
この地をいたく気に入ったローリーは、帰国後、さっそく同地の植民地化建設計画を下院に提出、時の女王エリザベスはローリーにいたく喜び、ヴァージン(処女)であった自らの名にちなみ、同地をヴァージニアと呼ぶ許可を与えた。

かくしてローノークへの英国の植民活動が計画され、1587年、測量士兼画家のジョン・ホワイト率いる一団が上陸した。

しかし当初の予想に反し、植民は困難を極めた。
上陸した英国人は100人以上にのぼったが、すぐに物資が足りないことに気づき、一団は物資援助を求めて帰国したのだ。
しかし当時の英国に植民活動をする力はなく、ホワイトは母国で足止めすることになった。
そして再びローノークに戻ったのは、三年後の1590年のことだった。

だが到着した島は以前とは違っていた。
活気がない。
誰もいない。
捜索活動を始めたが、家屋は損傷もないまま残され、まるである日忽然と人々だけが島から消えてしまったかのように、100人以上の人々が島から忽然と姿を消してしまったのだ。
そして村の幾つもの木々に、次のような奇妙な刻印が彫られているのが発見された。

「CROATAN」

それは英語でもなければ、見たこともない単語だった。

「CROATAN」とは一体何を意味するのだろうか?消えた人々が最後に見たのは、一体何だったのか?結局この事件は今日なお未解決のまま「消えた植民地事件」として知られている。

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