今から400年前、キリスト教徒が江戸幕府によって迫害されていたころの話。
島原の乱に敗れたあと、彼らは幕府からの厳しい弾圧を逃れるべく、鹿児島県、下甑島(しもこしきじま)に流れ着いた。
離島であるがゆえに、幕府の追及も届かない。
ようやく安住の地を得た彼らはこの島にTという集落をもうけ、なおもキリスト教を信仰し続けた。
とはいえ世間から孤立することにより、キリスト教本来の教えとは異なる独自の宗教を編み出すに至る。
それが『クロ宗』だった。
クロス(十字架)が語源といわれ、外部との接触を完全に拒んだ秘密結社的な概念。
驚くべきことに、隠れキリシタンの末裔たちによって今もなお受け継がれているそうだ。
『クロ宗』の最たる特徴は、死の儀式にある。
信者が生命の危機に瀕した場合、『サカヤ』と呼ばれる司祭のもとに運ばれ、まだ息があるにもかかわらず、生き血と生き胆を摘出するというのだ。
信じがたい話だが、その取り出したるモノを信者全員で食べ、飲み干すという・・・。
ある大学の民俗学教授は言う。
「宗教儀式の中には、死者の魂を取り込むため、身体の一部を食するというものは存在します。ですが、生きているうちから血と肝を抜くというのは稀ではないでしょうか。サカヤ(司祭)の家から出される遺体は白い布でグルグル巻きにされ、その布には血が滲んでいるというのですから、恐ろしい儀式ですよね」
とはいうものの、この禁断の儀式は詳細がいまだ明らかにされていない。
『クロ宗』を信仰するT集落の住人は、よそ者を完全に拒み、話しかけても相手にすらされない。
取材にも一切応じない。
家屋は全部で20戸ほどの小集落にすぎない。
しかもそれぞれの家が、3メートル前後ものブロック塀で囲まれており、異様な雰囲気を醸し出している。
『クロ宗』信者には集落内での出来事を一切口外してはならないという鉄の掟があり、それを破った者は命を取られるのではないかともウワサされている。
※明治時代まで肝食いをやっていただの、集落に近づけさせないためのデマにすぎないとの諸説がある。
あまり真に受けないように。