子どもの頃、うちの祖父の山で、限られた親戚しか入ってはいけない山がある。
いい松茸が取れるからで、大した因縁はない。
道からは入れないように、毎回場所を変えて不便なところから山に入る。
一応、私は入ってもいいメンバーで、早朝から山にいって年上のイトコとじいちゃんにくっついてどこに何があるとか、山菜とか山の管理の話しなんか聞きながらお手伝いしたり遊んだりする。
山の反対側は隣の県で、国有で、あんまり人はこないけど登山道があって、山の中に、うちだけのルートとか、○○さんちのルートだけど使ってもいい地図にない道というかけもの道がある。
その登山道をすこし降りると大きい集落がある。
売店があってお菓子とか買えるし、小さいけど学校があって子供がいるから、親戚と遊ぶのに飽きたら行って遊びに混ぜてもらったりしてた。
ある日、イトコと一緒に集落の子どもと遊んでいたら、学校の校庭でこっちを見てるお兄さんが達がいて、「家はどこだ?」とか聞いてくるし、「遠いなら送る」とか言ってくる。
なんかヤバいと思って、質問ははぐらかして、まだもう少し遊ぶフリしてから逃げたんだけど、山に入って振り返ったら、学校の方から走って追いかけてくる。
一人は自転車。
「追いかけろ」っぽい事もいってた気がする。
距離は数百m位離れてたから声が実際に聞こえてたかは不明。
田んぼ縦に10反以上+あぜ道+用水路+川幅の距離。
当時10歳位だけど、危険な人がいるというのは知っていたので、走らないけど速足で本気で逃げた。
山に入ったら距離が離れていったんで安心したんだけど、中学生の様子が異様だった。
私達が見えてる筈じゃないのに「逃げたぞ」「追えー」「うおー」「ぎゃー」とかTVドラマのように大げさに騒いでいる
人数は3人に増えていた。
登山道の他に旧道っていう明治位の頃の道と、もっと昔のトンネルがつくれない時代の路の跡があって、イトコがあっちを向けようってそこへ進んでいった。
トンネルと言っても、高さも大人の背より少し高いくらい、幅は大人二人分位で昼間なのに真っ暗で寒い。
不気味だから、ちょっと時間稼ぎになるんじゃないかと。
実際にはその手前にある山道に入ってもう絶対に追ってこれないだろうし、祖父のいる場所までもうちょっとというところで少し様子を見て耳を澄ましていた。
トンネルの方に入って行く道を進んだようで、やっぱり大声で興奮して騒いでいた。
「いたぞ」「あっちだ」って言っていたような気がして、怖くてイトコと固まったけど、追って来る事はなくて姿も見えなくなった。
祖父のいる場所に戻り、遊びに行った事は黙っていて、中学生が騒いでいて怖かったから遠回りしてたと半分嘘をついた。
あの中学生は何で興奮してたんだろうとか?
もしつかまってたらどうなってたんだろうとか?
トンネルで彼らが見たのは何だったんだろう?とか自分の中ではとても怖かった。
この隣の山も入ってはいけない山で、それは、松茸があるからではなく、共産党かなんかの人が武力闘争のためのなんとか施設っていうところ。
戦闘訓練してたり、警察から逃げてる大学生とかが登山のふりして山に入ってるから。
昭和45年位の頃の思い出話です。