私の母方の曾祖父は房総の中央、山間の城下町に生まれた。
その前の代の先祖となると、藩政の頃の人物となり、城に藩士として出仕していた。
それ故、曾祖父は武士の子として育ったせいもあり、性格はかなり威張って横柄。
田畑はあっても怠け者で働かず、家計は貧しく、腹が立てば家内にも手を上げるという、喜ばしからぬ性質の人であったという。
さて、この曾祖父は狐に化かされ易い人であった。
祖母から曾祖父の事を幾つか聞いたのだが、覚えているのは二つだけ。
そのうちの一つが、曾祖父が夜に用があって離れた村落から帰って来たときの事だ。
この町は城下町とは言え、周囲は淋しい山また山であり、陸の孤島であるのは今も変わりがない。
曲がり坂を越えて来て、町に入り、田んぼの中を帰ってくると、宮内さんという高台の崖の上にある家の工場の灯りが見える。
「ああ、宮内さんの工場だ」
そう思って藪を巻くように畦を歩いて、暫くして見上げてみるとまだ宮内さんの家の灯りが見える。
おかしいな?と思ってまた歩いたのだが、ふと見上げるとまた同じ距離に宮内さんの家の灯り・・・。
これはおかしい、と思って煙管を取り出し、腰を下ろして煙草を吸い出した。
一服つけた後歩き出して、道が何となくはっきり分かりだし、そのまま家に帰れたという。
この頃は曾祖父もいい年であり、日露戦争の頃の事だという。
地元の不思議?な話をもうひとつ。
地元の外れの方に戦争で亡くなった地元の軍人さんを慰霊する為の忠魂碑が建っている。
この忠魂碑の後ろ側は山になっていて、明治に造られた石垣が山の斜面に添う様に築かれている。
この石垣は所々崩れおり、忠魂碑の真裏の石垣も崩れ落ちてポッカリと穴が開いていた。
この穴に狐が住み着いて度々畑に悪さをした。
地元の人達は狐を退治しようと忠魂碑の石垣の穴に押しかけた。
しかし、狐は穴の中にはおらず、それどころか狐が住んでいた痕跡すら無かった。
危機を察知した狐は穴から逃げ出したんだと言う結論になり、その日はお開きなった・・・かと思えば、なんとその間に狐がまた畑を荒らした。
なぜだ!?と思いつつ、地元の人達は徹底的に調べ回った。
その結果、狐は地元のお寺に住み着いて、そこを拠点に畑を荒らし回っていた事が分かった。
つまり、狐は最初から忠魂碑の石垣の穴に住んでいなかったのだ。
誰が言い出したかは分からないが、「あの穴には狐が居る」と言う話を誰もが信じて疑わなかったのだ。
どっと疲れて殺る気を無くした地元の人達は狐を許す事にして赤飯をあげて山に逃がした。
それ以来、狐が悪さをする事は二度となかった。
・・・「これも広い意味での『狐に化かされた』なんだろうよ」と、お爺ちゃんに聞かされる度に思う。
ちなみに例の忠魂碑の石垣の穴には、現在お稲荷さんが祭ってある。