ハイキング中に見つけた奇妙な神社。
谷底の道の両脇に鳥居を構え、急斜面に石段を積み上げ、向き合っている神社。
まあ、急ぐ山行ではないので、まず右側の石段を登り始めたが、気まぐれを起こした自分を恨みたくなるほどきつい登りだった。
ようやく上までたどり着くと、小さなお堂があり、こんな場所にしては珍しく多くの絵馬がぶら下がっている。
絵馬というより、木簡に近い代物だが、そこに書かれているのは、何者かを深く怨み、不幸を願う気持ち。
木簡には、記入者の持ち物と思われる時計や、筆記用具などが縛り付けられている。
未記入の新しい木簡が、黒い木箱に入れられている。
嫌な気分で石段を降り、下まで行けば、そこには向き合って建つ神社の石段。
どうするべきかと考えたが、このまま立ち去るのは非常に心残りなので、先ほどの神社を背中に感じながら、目の前の石段を登りつめた。
小さなお堂に、ぶら下がった木簡。
向き合った斜面の、似たような光景の神社。
手にとって読んだ木簡に書かれていたのは、誰かの幸福や成功を願う言葉。
記入者本人に向けられた言葉もある。
そして、やはり身の回りの品が結び付けられている。
幸福を願う気持ちに触れても、なぜか心温まらない。
腑に落ちぬ思いを抱えて石段を降りていると、竹箒を持った老人が登ってくる。
老人は俺の顔をじっと見つめ「奉納に来た顔じゃないな」と・・・。
そのまま石段に腰を降ろしてしまった。
成り行き上、俺もそこに座らざるを得ない。
老人によれば、木簡を記入し、奉納するなら、両方の神社でそれをしなければならないという事だった。
怨むだけでは駄目。
幸福を願うだけでも駄目。
決まりを守らない場合、記入者本人を、とんでもない不幸が見舞うとの事だった。
俺:「死ぬんですか?」
老人:「寿命が伸び、ひたすら苦しんで生き続ける」
俺:「幸福を願うだけでも?」
老人:「そのようだ」
怨み、不幸を願う木簡は、幸福を願う木簡よりも圧倒的に多かった。
そして、もうひとつの決まり事を教えられた。
自らの不幸、幸福を願って奉納してはならない。
首都圏に、この山はある。