去年の夏のこと。
場所は兵庫。
ドライブがてら遠回りして、峠を越えて友人の家に向かっていた時の話。
通ったことのない道で、木が青々と生いしげり、蝉がうるさかった。
前方に猫だか狸だかが跳ねられて死んでいた。
端っこなら問題はないけど、ちょうど右タイヤが通るあたりに転がっているので速度を落とし、迂回を余儀なくされた。
ジジジジジジジジジジジジジジジジジ
蝉がうるさかった。
面倒だなぁと思いつつ、左に膨らもうと死骸から目を離すと、迂回に使おうと考えていたコースに農作業姿の婆さんが突っ立っていた。
邪魔だよ!
そう思ったが、さらにスピードを落とすと、婆さんが死骸を指差しているのが分かった。
しかも気色悪いほどの笑顔でこちらを見ている。
ほら見てッ、と言わんばかりに嬉しそうに死骸を指差していた。
夏だったけど峠道のためクーラーをoffにして窓を全開にしていたから、車内に蝉の声が直に入ってきている気がした。
蝉はうるさいし猫か何かは死んでるし、頭のイカレた婆さんが笑ってるしで、めまいがした。
ジジジジジジジジジジジジジジジジジ
ゆっくりと婆さんの横を通り抜ける。
指こそ引っ込めてくれたが、やはり俺におぞましい笑顔を向けている。
首に巻いたタオルだか手ぬぐいだかが黒く汚れていた。
ジジジジジジジジジジジジジジジジジ
見なきゃいいがそうもいかなかった。
迂回のためにはどうにも視界に入ってしまうのだ。
右を見て死骸を踏まないよう、左を見て婆さんにぶつからないよう低速走行し、いよいよ婆さんとすれ違う前に助手席の窓を閉めた。
ババアと窓ガラス一枚でも壁を作りたかったからだ。
窓を閉めたにもかかわらず、蝉が一段とやかましくなった気がした。
ようやっと婆さんをやり過ごせる、と思ったその時だった。
満面の笑みの婆さんがいきなり振り向いて俺に背中を見せた。
まだ俺は車を慎重に運転していた。
婆さんは背中に、子供サイズの爺さんをおぶっていた。
婆さんは爺さんをあやすように背中を小刻みに揺らし、また見せつけるように突き出してくる。
婆さんと違って爺さんは泣いていた。
八の字に眉を歪め、目に涙を溜め、苦悶の表情で搾り出すような、でもその音量は凄まじく、けたたましい声を張り上げていた。
「ジジジジジジジジジジジジジジジジジ」
もう矢も盾もたまらずアクセル全開でその場から逃げた。
友人いわく「まぁ色々あった場所だからね」とのこと。
後日、その峠の近くに「朝鮮人戦没者無縁仏供養之碑」なる物があることが分かったが、それが「色々」のうちの一つなのかは分らなかい。
でも分らなくても全然いい。
ただあんな蝉しぐれが聞こえなければ何でもいい。