私の住む集落の近くに、犬の死ぬ道がある。
そこを通る犬は、死んでしまうのだそうな。
大学生一年生の頃だ。
夏休みに帰省すると、道で見知らぬ若い夫婦と会った。
田舎生まれの人ならわかるだろうが、人の少ない集落では誰もが顔見知りである。
だから余所から来た人はすぐにわかる。
特に若い人は珍しいから、なおさらである。
私もその例に漏れず、見知らぬ夫婦が余所から来た人なのはすぐにわかった。
旅行客が来るような場所ではないし、迷子らしくもない。
まさか移住者か、と一緒にいた妹に聞くと、そうだという。
「先月から住みだした人だよ」
「へえ。こんなクソ田舎に移住とは、酔狂な人だな」
「移住っていうか、奥さんのほうの実家があるんだって」
聞けばその奥さん、私もよく知る爺さんの孫にあたる人らしい。
その爺さんはもう何年も前に亡くなっていたのだが、家だけはずっと残っていた。
夫婦はそこに引っ越してきたという。
奥さん自身はこちらの出身ではないが、子供のころから何度も訪れていて、田舎暮らしに憧れていたのだそうな。
その時は「へえ」と思っただけだった。
次に帰省したのは年末だった。
その時、母から嫌な話を聞いた。
件の若夫婦は犬を飼っていたらしい。
移住前から飼っていた犬で、マルチーズかなにかの小型犬だった。
その犬が、死んだという。
まだ四歳だったというから、元気の盛りだったろうに。
夫婦はずいぶん落ち込んでいるそうだ。
「なんで死んじゃったんだ?事故?」
「それがね、例の犬の死ぬ道を通ったらしいんよ」
犬の死ぬ道というのは、集落の近くにある、なんの変哲もない道だ。
リンゴ畑の真ん中を突っ切る、ありふれた農道である。
徒歩二十分のところにある商店に行くのに便利なので、私も何度も使っているが、実に牧歌的な場所だ。
広いリンゴ畑と、その先に見える青い山々。
晴れた日など、歩いていると気分のいい場所である。
ただ、そこは昔から犬の死ぬ道といわれて、犬飼いの人には避けられている道だった。
その道を犬が通ると、決まって翌朝には犬が死んでいる・・・そういう道だった。
犬死にの道、などと呼ぶ人もいる。
「誰も教えてなかったんか」
「そんな意地悪せんよ。ちゃんと言ってあった」
「んじゃ、信じなかったんかな」
「じゃないかねえ。都会の人からしたら、しょうもない話に思えたのかもしれんね」
可愛いワンちゃんだったのにねえ、と犬好きの母は残念そうに言った。
翌日、私は近所に住む余田の婆さんを訪ねた。
「なあ婆さん。犬の死ぬ道ってあるじゃん。あそこって、なんで犬が死ぬんだ?」
「あっこにゃ、犬嫌いな神様がおるっち話だで」
「神様?」
「お社はないけんどな、ほれ、覚えとらんか?曲がりっ角のとこに、岩があるで」
言われてみれば、そんな気もする。
「あれが、神様?」
「ありゃ御神体よ。人が住む前からあっこにあって、あってから動かんっち話だ」
「動かんって、なんで?」
「あっこがお気に入りっちことだでな。動かそうとすると、決まって悪いことが起きる。屋根も嫌いらしくてな。祠を作ったら、雷落ちてぶっ壊れたって話だで」
「おっかねえな」
「神様なんて、本当はみーんなおっかねえもんだで。優しいだけの神様なんぞおらん。優しい神様は、おんなじくらい、おっかねえ神様だでな」
「そうだった。・・・・・・ところで、なんでその神様、犬が嫌いなんだ?」
「むかーし、ションベンかけられてから嫌いなったち話だで」
「・・・・・・・・・・・・」
確かに小便をかけられたのは、不愉快だったろう。
犬も嫌いになるだろう。
でもだからって、無関係な、ただ通りすぎただけの犬までたたり殺すのは、ちょっと理不尽じゃないだろうか。
そんなことを思った。
同時に、思う。
もしも人間が同じ事をしたら、神様は人間も嫌いになるだろう。
そうなったら、あの道は・・・。
そこまで想像して、怖くなった。
ところで件の夫婦だが、あの後も集落で暮らし続けている。
当時はしばらくペットロスで塞ぎこんでいたそうだが、翌年、縁あって新しい犬を引き取ってから、徐々に回復していった。
その犬は長く生き、何年か前に老衰で死んだ。
犬の死ぬ道とは無関係に、天寿を全うしたそうだ。