1971(昭和46)年3月、大阪刑務所内で印刷されていた国・公立大学の入試問題が抜き取られ、売買されていた事実が発覚、大騒ぎになった事があります。
犯人らは、1967(昭和42)年頃から所内の印刷工場で大学受験問題の仕事につき、まんまと入試問題を抜き取ることに成功。
その後は看守のスキを見て運動の時間にバレーボールの中にこの入試問題を仕込み、刑務所の外にわざとボールを出して、外で待ちうけている仲間にこのボールを回収させていたそうです。
仲間が全員出所した1970(昭和45)年には、問題用紙を手に入れるため、刑務所へ盗みに入った事も。
仲間割れで同年1月に殺人事件が起き、その捜査を進めるうちに、発覚したものですが、「絶対に漏れない筈だったのに・・・」と大阪刑務所は大ショック。
大阪刑務所では、この作業は外部から遮断され、模範囚と刑務所職員が当たっていたそうです。
入試が外部の漏れるのを防ぐため、受刑者は勿論、担当の職員の家族関係までチェック。
印刷ミスなどの損紙の数まで全て数え、職員立会いの下で焼却する念の入れようだったのですが・・・。
犯罪というのはあの手この手で手口を変えてくるものですね・・・。