私が高校生のときの話です。
九州の田舎です。
私と6つ下の妹はとある習い事をしていて、週一で県内の高速道路で40分ぐらい(国道だと1時間ぐらい)のところに母の運転で通っていました。
いつもは平日なので学校終わりに母が迎えにきてそのまま~という形でしたが、大きな大会が近づくと土日も集中練習で通うことがしばしばでした。
そのため平日は高速道路で通うのですが、土日は高速代節約も兼ねて、川沿いの蛇行した国道をドライブがてら使うことも多くありました。
少し話は逸れますが、うちは母方の曾祖母、祖母、母、私、妹と、女系はなぜかひどい片頭痛持ちです。
そして霊感という程でもないですが、思春期に不思議な体験によく遭いました。
私や妹は見ることはなかったですが、母はよく見たり色々なことに遭ったりしていました。
その日は夏の土曜か日曜、国道を通っていました。
夏休みが終わりごろで、夕方で風が涼しく冷房はかけずに窓を開けて自然風で涼をとっていたと思います。
私は受験前で習い事の実技を使うため通い詰め、妹も大きな大会を控えて同じぐらい通っており、運転する母も疲れが溜まっていたと思います。
国道そばの川には途中小さなダムが2つ?あったような記憶なのですが、目的地に近い方のダムに差し掛かったとき、母がしきり眠い、ちょっと寝ていこうと言い始めました。
母は高速でも眠気がひどくなるとサービスエリアで小休憩をとる人なので、そんなに珍しくなかったのですが、この日私は大反対しました。
というのも、いつもなら母はこのダム付近を「嫌な感じがする」といって足早に過ぎるようにしていたからです。
いつも避けているのに停まろうと言うこと、妹が既にぐっすり眠り込んでいること。
もう嫌な予感がしている上にこの3人だとそのときの私がダントツで「気付く」年頃だったことからとにかく嫌で、「停まりたくない、もう少し行ったら目的地だから」とお願いしました。
しかし、とうとう母は退避所のようなところに車を停めてしまいました。
日が暮れ始めて本当に嫌でしたが、母の疲れも自分のせいというのもあって強く言えませんでした。
窓を全部閉めて冷房をかけ、エンジンを切らないことをお願いしました。
少し頭痛が来ていた私も、眠くはないものの目を閉じてじっとしていました。
母はすぐに眠りました。
金縛りによく遭う人はわかるかと思うのですが、自分のなかで「あ、くるな」というのがわかるパターンみたいなものがあります。
案の定というか、すぐに耳が詰まったような感じがして酷い耳鳴りが始まりました。
いつもは少しやり過ごすと落ち着くのにそのままで、気付くとラジオ?からザーとかサーとか、不快なノイズも流れていました。
絶対に目を開けたら見てしまう!と瞼をきつく閉じていましたが、それで運転席の窓のそばに気配が貼り付いているのがはっきりわかりました。
金縛りを解く方法が自分の中でいくつかあるのですが(雑魚寝のとき妹に触れるとか、呼吸を意識して体を中から動かすような感じにするとか。)後部座席の妹に届くわけもなく、呼吸もなかなかうまくいかず、一向におさまらない耳鳴りとも格闘していました。
すると、ふっと運転席側の気配がなくなり、一瞬の後に私のいる助手席側から強い視線を感じました。
もうとても怖くて、とにかくはやく妹か母が目を覚ましてくれないかと祈りました。
気づいたらラジオのノイズは蛙の鳴き声に変わっていました。
一匹の声ではなくて、梅雨の田んぼで夜聞こえるような大合唱です。
どれだけそうしていたかわからないのですが、呼吸を無我夢中で(金縛りを解くやり方に)整えて、気合いと一緒になんとか声をだして体が自由になりました。
全く同じタイミングで母も「ハッ!」と声をだして飛び起きました。
目を合わせて、なにも言わずに母は車を出す準備をしました。
ふと、二人とも路肩にあるものを見つけて、それから目的地まで完全に無言でした。
私たちが見つけたのは、小さな鳥居でした。
目的地についてすぐに私は習い事の練習に入り、戻ると妹も母も普通になっていました。
妹は全くなにも覚えていないそうです(私たちの会話も。)
母は苦笑しながら謝ってきました。
以上、長くなってしまいすみません。
先日帰省して、久しぶりに同じ国道をドライブしたのですが、あのときの退避所も鳥居も全く見つからず、また母と顔を見合わせて苦笑したので色々思い出して記念カキコでした。