私の祖母はいわゆる”みえる人”であったようで、おばあちゃん子だった私は、様々な怖い話や不思議な話を聞かされて育ちました。
そんな祖母の話。
我が家にあった梅の木にまつわるお話です。
私の実家の庭には昔、わりと大きめな池がありました。
それは、無口で無愛想で、人付き合いよりも物言わぬ動植物を好む祖父の、たっての希望で作られたものでした。
同居が決まって父が家を建てる際、祖父は自分で造園業者を呼んで庭の一角を自分好みに仕立ててしまったのです。
池には、これまた祖父の趣味の色とりどりの鯉たちが泳ぎ、菖蒲の鉢を沈めたり周辺には松や槙の木を配置したり、祖父は定年後の第二の人生を自らの庭で満喫していました。
そんな丹精込めた庭でしたので、祖父は私たち子供に池周辺で遊ぶことを禁じていました。
池は1.5メートルほどの深さがあったので、落ちたら危ないというのはもちろんですが、何より大事な庭を無遠慮に荒らされるのが嫌だったのだと思います。
ですが、誰ひとり大人しいとはいえない私たち兄弟が、そんな格好の遊び場を無視できるはずがありません。
特に二人の兄たちは、池の周辺を「じじいゾーン」と呼び、祖父の目を盗んでは自作の釣竿で鯉を釣ろうとしたり周りの木に登ったり、甲羅干し中の亀を追いかけ回したり、好き放題遊んでいました。
祖父も口で禁じてはいたものの、ある程度は孫たちの遊びを黙認してくれていました。
さすがに、縁から縁へ飛び越えようとして失敗し、池にはまってしまったときには、げんこつを食らっていましたが。
私はといえば、兄たちほどではないにしろ、やはり池の周りではしょっちゅう遊んでいました。
池のほとりには、古くて大きな梅の木が一本ありました。
春には白い花を、梅雨頃になるとたくさんの実をつける木で、祖母は毎年その梅で、梅干しや梅酒をつけていました。
私が小学校低学年の時のことです。梅の枝にはまだ青々とした実がたくさん付いていたので、梅雨入り前だったと思います。
そのとき私は、池の周囲を回りながら落ちている梅の実を探していました。
木になっているものを取って遊べば怒られますが、自然に落ちたものであれば平気です。
その青梅を池の鯉にやるのが、その時のマイブームでした。
大半の鯉は、梅の実ほど大きくて硬いものは口にしようとしないのですが、一匹だけ、一番大きくて黒い鯉だけは、私が梅の実を池に落とすと寄ってきて、吸い込むように口にするのでした。その様子が面白くて、私は梅の実を見つけては池に投げ入れていました。
そんなことを続けていたある日、その鯉が死んで池に浮かんでいるのが見つかりました。
祖父と一緒に池のほとりに穴を掘り、墓標を立てました。
このときは、まさか鯉の死に自分が関係しているとは思いもよらなかったのですが・・・・・・。
それから数日して梅の実もすっかり収穫してしまった頃、長兄から衝撃の事実を知らされたのです。
「お前、知っちょんか?青い梅の実には、毒があるんやっち」
「え?」
「梅の実はそのまま食べんやろうが。それは毒があるからなんやっち。だから食ったり、動物にやったりしたらいけんのぞ」
長兄は、私が青梅を鯉にやっていたことを知っていたわけではありません。
ただ自分が得た知識を、妹にも教えてやろうという兄心でした。
ですが、私は震えあがりました。
あの鯉が死んだのは、私のせいだった!
おじいちゃんが大切にしていた鯉だったのに!
その夜から私は、夢の中に鯉の姿を見るようになりました。
私は池の中にいて、鯉が真正面から睨みつけてくるのです。
謝ろうにも水の中では喋ることができず、だんだん息ができなくなってもがき苦しむ、そんな夢でした。
怖くて怖くて、でも怒られるかもしれないと両親には相談できなくて、私は祖母にすがりました。
祖母は私の話を静かに聞き、私が泣き止むのを待って口を開きました。
「◯◯ちゃん、もうせんな。もう、変なものを動物に食べさせたらいけんよ」
私は何度も頷きました。
祖母は私の手を引いて台所に行き、水屋の一番下の引き出しを開けました。
そこには、今年つけたばかりの梅酒があります。
まだ氷砂糖も溶けておらず、ふたを開けるとアルコールの匂いがぷんと立ち込めました。
ですがその酒臭さの中には、ほんの少しですが、梅の甘い匂いも確かに混ざっていました。
祖母はそこから、コップ一杯分の梅酒をすくいました。
「それ、どうするん?」
「鯉さんにあげような」
そしてまた私の手を引き、今度は鯉を埋めた場所に行きました。
「鯉さん鯉さん、これで勘弁しちょくれな。もう二度とさせんけん」
祖母はそう言いながら、墓標の上から梅酒を掛けていきました。
私はその様子を見ながら自然と手を合わせ、心の中で鯉に謝っていました。
ごめんなさいごめんなさい。
もう二度と、青梅を食べさせたりしません。
池の周りでも遊びません。
許してください。
「◯◯ちゃん、もういいよ。もう大丈夫」
目を開けると祖母がにこりと微笑んでいて、私はまた少し泣いてしまいました。
その日からもう、鯉の夢は見なくなりました。
池の周りでは遊ばない、という約束は、数ヶ月後にはすっかり忘れていた私ですが、もう一つの約束だけは、今も忘れず胸に刻んでいます。
この話は、祖母の“みえる”力のおかげというよりは、ちょっとしたパフォーマンスで私の罪悪感を拭ってくれた、年の功のおかげなのかもしれません。
梅の木にまつわる話は、もう一つあります。
あれは、私が高校生の春先のことでした。
その頃には、祖父も加齢には勝てず、庭の手入れもだいぶおろそかになっていました。
そのせいだけではないでしょうが、梅の木も年々花や実の数が減っており、もうすぐ春だというのに膨らんだ蕾をほとんどつけていませんでした。
ある日、私が学校から帰ってくると、梅の木の下に何か白い靄のようなものがあるのに気がつきました。
それは靄や煙といった類のものに見えましたが、それにしては形を崩したり上に登っていくことなく、まるで意思を持ってその場に佇んでいるようでした。
ふと家の方に視線をやると、自室の窓から祖母も同じものを見ていました。
私は一旦家の中に入り、祖母に尋ねました。
「あれ、なんなん?」
「◯◯ちゃんにもみえるの。あれは、梅の木やよ」
「はぁ?」
「梅の木が、もう最後やからっち、お別れを言いに出てきてくれたんやねぇ」
そう言って、祖母は梅の木に向かって手を合わせました。
「今まで、ようけようけ梅の実をくれて、おおきにね」
するとその言葉が届いたかのように、白い靄はスゥッと消えてしまいました。
「え、あれ、なんやったん?」
「やけん、梅の木よ。もう今年から、梅の実は買わんといけんねぇ」
祖母の言葉は本当でした。
その年の春、梅の木は数えるほどしか花をつけず、結実はしないまま夏を迎え、暑さにやられて秋になる前には葉をすべて落としてしまいました。
植木屋さんに見てもらうと「もう寿命ですね」と言われ、危ないので根元からすっかり切ってしまったのでした。
今、私の実家にはあの梅の木はおろか、祖父が大事にしていた池もありません。
祖父母が亡くなり、庭仕事に疎い両親では管理ができないことと、私の子どもがやんちゃ盛りで危ないと、埋めてしまったのです。
あのとき祖母とみた白い靄の正体がなんだったのか、いわゆる梅の精と呼ばれるようなものだったのか、それはわかりません。
ですが、あの頃のように丹精込められていない今の庭木たちは、その命を終えるときにあのような姿を見せてくれることは、きっとないでしょう。
ですが、あの梅の木があった場所には今、別の梅の若木が植えられています。「ばあちゃんの梅酒が懐かしくて」と次兄が数年前に植えたのです。
梅の精はみられなくとも、せめて梅の実が豊作になるくらいには、大切に育てようと思っています。