父から聞いた漁村の話です。
戦争中、紀元二千六百年記念行事の際に、漁村の神社を新しくするという事業が行われたそうです。
そのために、神社の宝物殿の物を他の場所に移す作業が必要になりました。
たくさんの人間がそれに関わるというのは、なにかと都合が悪い(盗まれたりする)というので、村の若者(当時は子沢山だった)のなかから三名の二十歳まえの男が選ばれたそうです。
作業は宝物を移動させるのですが、それほど多くなく、1つ、古い木箱(船の荷造りのために作るような箱)が特に重要だと神主が考えていたそうです。
その木箱は非常に重く、とても三人では持ち上げることも移動させることもできない・・・。
それで、その宝物殿から丸太で簡単なレールを敷設し、その上を滑らせて移動させたそうです。
三人しかいなかったので大変な作業だったと。
話をしてくれた人が言うには、その木箱は常に「唸っていた」ということです。
箱から音が出ていた、ということらしいのです。
また、初夏というのに箱は非常に冷たかったそうです。
木材はふつうは温かい(断熱性があるということでしょうけど)のに、それが冷たいといのも変だったと。
その三名は作業を終えたあと、どのようなものを移動させたかを口外することを禁じられたそうです。
その後、その三名のうち二名は出征して戦死し、遺骨は帰ってこなかったとのこと。
残りの一名は病死したとのこと。
身体全体に斑点が浮き出てやせ細って死んだそうです。
天然痘ではないか?と、最初に診察した近くの町の医者は疑ったそうですが、その後、まったく噂にならなかったし、なんの対策もされなかったそうです。
その宝物は今も村の神社にあるかもしれません。
私も知人も家族の者も、そのようなものを見たことはないのですが。