昔、『桑原』と言うところに、市兵衛という雷が大に苦手な男がいた。
この男の雷嫌いは凄まじく外で働いていても雷が鳴るとすぐに家に逃げ込み、押入れに隠れてしまっていたという。
ある日のこと。
市兵衛が外に出ていると、突然雷が鳴り出した。
市兵衛は肝を潰して家に逃げ帰り、押入れの中に閉じこもって震えていたそうだ。
その日の雷はやけにしつこく、いつまで経ってもなかなか止まなかった。
そのときだった。
ひときわ大きく雷が鳴り響き、市兵衛の家に落雷した。
市兵衛はあまりの恐ろしさに気絶してしまった。
ふと気がつくと、押入れの暗がりで何かが走り回っている。
ネズミか?と市兵衛が捕まえてみると、それはネコともネズミともつかぬ得体の知れない生き物だった。
「貴様、俺は雷で機嫌が悪いんだ。お前は何者だ?!」と市兵衛が大声を出すと、その生き物は甲高い声で「俺は、雷様の息子だ」と言った。
市兵衛は驚いたが、同時に雷様の息子と聞いてますますイライラしてきた。
「雷の息子がここへ何しにきた?」と問うと、雷様の息子はぶるぶると震えた。
「俺は父親に言いつけられて太鼓を叩いていたが、調子に乗って太鼓を叩いているうちに雲の切れ間から足を滑らせて落ちてきたのだ」
雷様の息子の説明を聞いて、市兵衛はますます腹が立った。
「貴様、人がこんなに雷が嫌いなのにわざわざ人の家に落雷させやがって。お前をぶち殺して煮て食ってやる」と市兵衛が首を絞めると、雷様の息子は泣き出した。
「助けてくれ、もう雷は落とさないからどうか命だけは」と懇願するので、市兵衛も慈悲を取り戻し、「ならば命だけは助けてやろう」と放免してやることにした。
「恩に切ります。ここはどこのなんというところですか」と、雷様の息子が聞くので、市兵衛は憮然として「ここは桑原、俺は市兵衛というものだ」と言うと、雷様の息子は「桑原の市兵衛のところに二度と雷を落とさない」と堅く約束して、空の上に帰ると言い出した。
「どうやって帰るんだ」と市兵衛が聞くと、雷様の息子はこの辺りで一番高い木のところに連れて行ってくれと言う。
市兵衛が家の周りで一番高い木の上につれてゆくと、雷様の息子はするするとその木を登り、見えなくなってしまった。
それから、雷を避けるときには「桑原、桑原」とか「市兵衛、市兵衛」と唱えると、雷はそこを避けるのだそうだ。