死に目を看取った叔父の話。
独身だった叔父は姉の子供のオレを我が子のように可愛がってくれていた。
オレも叔父が大好きだったし、社会人になってからオレは叔父と同居して、叔父が亡くなるまで一緒に住んでいた。
叔父には一つだけ変な癖があった。
叔父の変な癖とは、叔父は子供の掌をとても怖がる癖だった。
どのくらい怖がっていたかというと、小さかった頃のオレが手を少しでも上げようとするだけで全速力で走って逃げるほどだ。
オレはそれが面白くて、よく手を叔父に向けたまま叔父を追いかけて遊んでいた。
意地悪く追いかける俺が走り突かれて立ち止まると、叔父は息を切らせながらも、それでも引きつった笑顔で頭を撫でてかわいがってくれていた。
そんな、優しい叔父だった。
社会人になって数年経った頃、オレは叔父と晩酌をしながらテレビを見ていた。
その日は二人とも珍しく深酒し、やがて話はオレが子供時代の話になっていた。
叔父はある時の正月の話をし始め、当時よくロードショーでやっていたキョンシーの映画を見た正月に、オレが夜中にトイレに行けなくて泣いていた話しを嬉しそうにしていた。
叔父の背に隠れるようにトイレに行くオレが、叔父はかわいくて仕方なかったと、真っ赤な顔で嬉しそうに話していた。
昔の恥ずかしい話しをされて少し腹が立ったオレは、叔父が子供の掌を怖がっていたことを逆にいじり始めた。
暫くオレは叔父が如何に情けなく怖がっていたのかを意地悪く話していたが、ふと、叔父の顔が怖いほどに真剣になっていることに気がついた。
初めは叔父が怒ったかと思い、慌てて謝ったりもしてしたが、その内、叔父がなにか言いにくい事を言おうとしているのだと察して、オレは叔父が話し始めるのを黙って待った。
それでもなかなか話し始めない叔父にオレが声をかけようとした時、漸く叔父はぽつぽつと話しを始めた。
叔父の話によると、昔叔父はトラックドライバーの助手をしていた時期があったらしい。
トラックドライバーの助手と言っても、まだ大型免許を取るために教習所に通っていた最中の叔父は、勤めていた会社と契約しているドライバーの運転するトラックに同乗し、解いた先で荷物の上げ下ろしを手伝うのが仕事だった。
荷物の上げ下ろしはともかくとして、目的地に向かう最中の車内では特にやる事もなく、叔父は良く車窓から景色を眺めて過ごしていた。
そんなある日珍しく長距離トラックの助手になった叔父は話すネタが尽きてドライバーが鼻歌を歌い始めた頃から、高速道路の景色をいつものように眺めていた。
その地方は何日か前に雪が降ったらしく、高速道路の道や路肩には、うっすらとシャーベッド状の雪が残っていた。
暫く景色を眺めていた叔父は、ふと、併走していたバンに小さな女の子が乗っているのに気がついた。
ぼんやりとその女の子を眺めていた叔父だったが、女の子の方も叔父に気付いたらしく、初めは恥ずかしそうに、その内徐々に叔父に笑顔を向けた。
叔父も笑顔を返しながら、家族で旅行にでも行っているのだろうと、ほんわかした気持ちでその女の子を眺め続けていた。
すると、すっかりはしゃぎ始めた女の子は窓ガラスにくっつくように身を寄せると、その小さな手を叔父に千切れんばかりに振りはじめた。
気をよくした叔父が手を振りかえそうと思った瞬間、「やりやがったっ!!」と、運転していたドライバーが、突然怒声を上げて急ブレーキを踏んだ。
叔父が慌てて前を向くと、そこには雪にタイヤを盗られて高速道路を斜めに滑っている大型トラックの姿が目に入ってきた。
叔父の乗ったトラックも焦って急ブレーキを踏んだせいで徐々に車体が横を向いていき、徐々にフロントガラスに近づいてくるアスファルトを見て、叔父は自分たちのトラックが横転しそうな事を理解した。
慌ててシートベルトを強く握って衝撃に備えた叔父の目に、同じように雪に滑って横向きに滑る女の子の乗った車の様子が飛び込んできた。
女の子は横向きで進む車の窓ガラスに押しつけられ、可愛らしかった顔を化け物のように歪めてガラスに張り付いていた。
やがて滑る事を堪えられなくなった女の子の車は、今度は車体をアスファルトに叩き付けるように横に回転し始めた。
回転し女の子が押しつけられた側が地面に叩き付けられる度に、その子の顔が酷く潰れ、車内に血が飛び散る様子が、叔父の目にはハイスピードカメラで撮った映像のようにゆっくりと見えていた。
その後、結局叔父の乗ったトラックもそのまま横転し、叔父はその凄まじい衝撃で気を失った。
目覚めると叔父は病院のベッドにおり、そのまま暫く入院する事になった。
見舞いに来た上司の話によると、叔父に手を振っていた女の子は、アスファルトに叩き付けられた衝撃で、原型を止めない姿になってなくなったらしいと叔父は聞かされた。
その後叔父は会社を辞め、進んでいた大型トラックの免許の講習も中断して別の会社に就職した。
その時の窓ガラスに押しつけられた女の子の姿が忘れられず、結婚して子供が出来た時、生まれてきた子が女の子だったらと思うだけで強い恐怖感を抱くようになり、結局、生涯独身のままその人生を全うした。
叔父曰わく、それ以来、子供の掌を見るとあの時の光景がフラッシュバックしてしまい、怖くて仕方がないと言っていた。
血にまみれ真っ赤に染まった車の回転する度に砕けていく女の子が張り付いた窓ガラスで、その子の小さな掌だけが白かったんだよ。
そう言うと、氷が溶けて薄まった焼酎を一息に呷って、空いた手でがりがりと爪を立てて頭をかきむしっていた叔父の姿が、今でもオレの脳裏にこびり付いている。