実際にそれを体験した人

カテゴリー「心霊・幽霊」

雨の降る深い闇の林道で1人の女が傘も持たずに佇んでいる。
それを見たタクシーの運転手はその様子を気味悪く感じながらも女の前にタクシーを停車させ乗っていくように勧めた。
女は黙って運転手を一瞥すると、後部座席に乗り込み一言「×××へ」とだけ言った。

現在の場所から数十キロも離れた場所の名前であった。
そこまで歩いて行くつもりだったのか?
運転中、2人の間に会話は無かった。

目的地に到着し、「着きましたよ」と言って運転手が振り返ると居るはずの女が消えている。
タクシー運転手の間では有名な都市伝説の一つである。
無論、一般人だろうとこの手の話を知る人は多いだろう。

しかし、多いだけで“実際にそれを体験した人”というのは一体どれくらい居るのであろうか?
残念ながらその数は少ないと思う。

そんな中、昔タクシー運転手であった近藤さんがこんな体験談を語ってくれた。
その体験談は、どこかあの都市伝説に似ているような気がする。

当時タクシーの運転手だった近藤さんがその女に出会ったのは、雨の強い夕暮れ時のことであった。
半ば道路に飛び出すようにしてタクシーを止めに入ったその女を近藤さんは危うく轢いてしまうところだったという。

近藤さん:「本当に突然出てきたもんだから、ビックリしたな。最初は怒鳴ってやろうと思ったけど、あの様子見てたら・・・」

その異様な様子に近藤さんは怒鳴ることも忘れてしまったらしい。
この強い雨のなか傘も持たずに、布に包んだ赤ん坊を抱いた女は運転席側の窓を叩き続け「乗せてください」と呪文のように繰り返し呟いていた。

近藤さん:「雨に濡れた長い髪が顔にベッタリ貼り付いててな、表情が読み難かったが歳は20代前半位か。目が据わってたのが印象的だったな・・・それと・・・」

・・・それと、赤ん坊の抱き方が奇妙だったという。
右腕で赤ん坊を外側から丸め込むように片手で抱いて、残った左掌をその頭に置いていた。
別に撫でている風も無く、本当にただ赤ん坊の頭に手を置いているようだったという。
近藤さんは後部座席に女を座らせると、何処へ向かうのか訪ねた。

女:「とにかく近くの病院まで・・・子供が・・・・・・急いで!」

何と無く女の事情を理解した近藤さんは、今の場所から一番近いであろう病院を思い出すと一気に車を走らせた。

近藤さん:「運転中は喋れる雰囲気じゃなかったな。バックミラーで何度かその女性の様子を見てたんだけど・・」

女は俯いたまま我が子に何かを呟きかけていた。
腕はあの“奇妙な抱き方”のまま崩す素振りは一度も見せなかったという。
話し掛ける勇気の出なかった近藤さんは、その代り車の速度を上げると病院まで急ぐことにした。

しかし、近藤さんはすぐに自分の選んだ選択肢が間違っていたことを思い知らされたという。
大雨のせいもあったのであろうか、突然変った信号で近藤さんが急停止したところ、後部座席に座っていた女性がよろけて運転席の背中にぶつかってしまったのだという。

ベリッ・・・。

女のぶつかった衝撃が消えると同時に、近藤さんの背後で嫌な音が響いた。

近藤さん:「本当に、嫌な音だった。まだ治りきっていない大きなカサブタを、思いっきり剥がしたことある?あれの何十倍も凄い音がしたな」

何かの剥がれるような奇妙な音のすぐ後で、今度は何か重い物が「ゴトッ」と落ちるような音がした。

何事かと思い近藤さんが振り返ると、女は別段慌てる風も無く落とした何かを拾おうと座った状態から身を屈め、左手を伸ばして床をまさぐっていた。

信号が次に変るまでまだ余裕があったため、近藤さんはその様子をずっと眺めていたという。
さっきのこともあるため赤ん坊の安否も気になったのだが、身を屈めた女の胸や頭の下に隠れて赤ん坊の様子はわからなかった。

数秒後、目的の物を掴んだのか女の動きが一瞬止まった。

身を起した彼女の左手には、よく分からない『何か』が鷲掴みにされていた。
丸く、紫がかった奇妙な塊であったという。

女がその『何か』を掴んだままの左手を元の位置に戻すと、「クチュッ」という小さな音と共に先ほどと何ら変わらぬ“奇妙な抱き方”が完成した。

その全ての動作を目にした近藤さんは、何かに気付いたように目を見開くと、叫びに近い声でこう言ったという。

近藤さん:「降りてくれ!!金は要らないから、出てってくれ!!!」

女は前に振り返った近藤さんをバックミラー越しに睨み付けると、ロックの外れたドアを開けて大人しく出て行った。

開きっぱなしのドアから雨音が間断なく響き渡ってきた。

近藤さん:「彼女が落とした物ってのは赤ん坊の生首だったんだ。可哀想に、詮索はしないが一度離れちまったものを彼女は必死にくっ付けようとしてあんな抱き方してたんだろうな。それで急いで病院に連れて行こうとしてたわけだ」

近藤さんはそこまで一気に喋り終えると、何かを思い出したように顔を上げ溜息を吐いた。

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