東日本に出動した先輩自衛官から聞いた話。
先輩は火災のあった津波被災地に出動したそうだ。
バディと二人で歩いていると、最初はなんでもない瓦礫だらけなんだが、一度ご遺体をみつけると徐々に目がなれてくるのか、気が付くと周りは骨だらけ。
火災のあった地域なので、水死はほとんどなかったそうで、まだ良かったほうらしい・・・。
最初に骨盤だとわかると、次々に見つかる背骨や焼け焦げたご遺体。
津波もあって、何人分かもわからない。
その中でも壮絶なのが子供を抱きかかえたまま亡くなられた方で、どの方々も、ぐっと子供を抱きかかえて守るように亡くなられていた。
お子さんはみんな、お人形みたいに、安らかな顔をしていたのが脳裏に焼き付いてると子持ちの先輩が言っていた。
ほかにも水没地域を捜索した同期から、においが離れなくて、すぐわかるとか。
とにかくそんな極限の任務を終えて、数週間に一度家に帰るのだけれど、先輩のまだ2、3歳のお子さんが、かえって来たお父さんに喜ぶでもなく、大泣きをしはじめたそうだ。
泣く理由がわからない。
だから、どうしたの?って先輩は聞いたそうだ。
お子さんは先輩の後ろ斜め上を指さすと、「だれかいる、こわい!」と。
その時、働いた人たちは結構「連れて帰った」体験をしているそうで、その亡くなられた親子の話といい、2、3歳の子が言うというのは、とても生々しかった。
快活で、優しげな東北訛りで喋る先輩のことだから、からかいや嘘には聞こえない。
もう数年経つけれど、震災や事故に巻き込まれた方の御冥福を祈りたい。