山は身近な異界と言うけれど、確かに山登りをしていると、たまに妙な出来事に遭遇する。
男性:「こんにちはー」
向こうからやってきた男性は朗らかに挨拶し、笑顔で会釈してきた。
こちらもぺこりと頭を下げる。
男性:「この先に行かれるんですか?」
自分:「その、予定です」
男性:「そうですか。この先には『扇岩』ってのがあって、それを目印にして左に曲がるんですが、その手前によく似た『偽扇岩』っていうのがあるので、間違えないよう気をつけてください」
『偽扇岩』を目印にして左に曲がると遭難してしまいますよ、と男性はちょっと脅かすように声をひそめた。
自分:「ありがとうございます。気をつけます」
そう返して互いに会釈し、男性と別れる。
数歩進んだところで違和感を覚えてふと後ろを振り返ったが、既に男性の姿は見えなかった。
数年経って、また同じ山に挑戦した。
頂上から見た景色の雄大さをまた見たいと思ったからだ。
同じルートを通って、山を登る。
すると以前男性と出会った所で、また同じ男性と遭遇した。
その時、以前感じた違和感の理由を理解した。
その男性は、いかにも冬山登山といった姿をしていたのだ。
自分が登るのは夏山ばかりなので、そこに違和感を覚えたのだ。
男性:「こんにちは」
朗らかに挨拶され、ぺこりと会釈される。
自分:「・・・・・・こんにちは」
男性:「この先に行かれるんですか?」
自分:「・・・・・・の、予定です」
男性:「そうですか。この先には『扇岩』ってのがあって、それを目印にして左に曲がるんですが、その手前によく似た『偽扇岩』っていうのがあるので、間違えないよう気をつけてください」
ああ、と思った。
この男性はきっと、間違えて『偽扇岩』で曲がってしまい、遭難したのだろう。
そして後続の者が間違えないように、警告してくれているのだろう。
そう思うと切なかった。
自分:「あ・・・・・・りがとう、ございます・・・・・・気をつけます・・・・・・」
男性:「いえいえ。では頑張ってくださいね」
互いに会釈し、すれ違う。
すぐに振り返ってみたが、男性の姿は既になかった。
あれから更に数年が経ったが、男性は今でもきっと、登山者に注意を促しているのだろう。