どうせ開かんよ・・・

カテゴリー「心霊・幽霊」

俺が小学三年生のときの話。

俺は東京生まれ東京育ちの江戸っ子なんだが父も母も島根の出身で、夏休みのある日に母方の実家に帰った。
久しぶりに会うじいちゃんとばあちゃんは孫がかわいくて仕方ないらしく、俺と弟をしきりに可愛がってくれた。

その家は特に変わったところのない、ちょっと大きめの一軒家だったが、一つだけおかしなものがあった。(当時の俺の目には奇妙に映った)
それは、居間にある金庫だった。
まぁ電子レンジくらいの大きさの、普通のダイヤル式の金庫なんだが、神棚の下に仰々しく置いてあった。
まるで金庫を祀っているように。

子供というのは何でもいじりたがるもので、俺も御多聞に漏れずその金庫を開けようと躍起になっていた。
その様子を止めるでもなく、じいちゃんは目を細めて見ていた。

居間に入ったばあちゃんが「ちょっとおじいさん!○○ちゃんが・・」なんてことをじいちゃんに言ってたが、「どうせ開かんよ。」みたいな感じでじいちゃんは放任していた。

じいちゃんに「開けてよー、一億万円入ってるの?」とか言ってみたが「こりゃ壊れとるんだ。じいちゃんにも開かん。」などとはぐらかされた。

俺も次第に飽きてきて、他の遊びをするようになった。
じいちゃんに、「明日はイカ釣りに連れてってやるからな。」と言われた。

その日の夜、新鮮な魚をふんだんに使った料理が食卓に並べられ、東京で売ってる魚よりも格別にうまい魚料理を食った。
大人たちは酒を飲み始め、食い終わった俺と弟は一緒にまた家中の探索に向かった。

そしてまた、例の金庫をいじり始めた。
弟の見守る中、程なくして金庫から、『カチャ・・・』という音が聞こえた。

俺:「開いたかも・・・?」

そう思い、扉を開いた。
その瞬間、全身の毛が総毛立った。

なんと、電子レンジほどの大きさの金庫の中には少し大きめの女の顔が入っていた。
そしてゆらゆらと揺れていた。
まるで陽炎のように。
その首の下にはお札みたいなものが大量に敷き詰められていたと思う。
俺はものすごい悲鳴を上げ、弟もすごい勢いで泣き出した。

その悲鳴を聞きつけ、両親や祖父母たちが駆けつけた。
金庫を前に泣き叫ぶ俺たちを見て、じいちゃんが「まさか開けたのか?」って聞いてきた。
金庫が開いてんの見りゃ分かりそうなもんだが、なぜか金庫は閉まっていた。
閉めた覚えはないんだが・・・。

ばあちゃんが何度かがちゃがちゃやっていたが、もう開くことはなかった。
じいちゃんは怒鳴りつけるでもなく、嗚咽を繰り返す俺を諭すように、「○○ちゃん、何が見えたのか?ん?」とやさしく聞いていた。

しかしその表情は傍目にも分かるほど狼狽していた。

「おっ、女・・女!」と繰り返す俺に、「どんな顔をしてた?」と聞く。

俺:「分かんない。でもなんか怒ってた・・怒ってた・・。」

そう、確かに俺が見た女の顔は、明らかに激怒していた。(ように見えた)

じいちゃんは大きく溜息をつくと、ばあちゃんになにやら指示を出した。
ばあちゃんは慌てて玄関から出て行った。

俺は食卓まで連れて行かれ、日本酒と思しきものをコップ一杯飲まされた。
その印象が一番強い。

死ぬかと思った。
弟も即座に吐いていた。

しかしじいちゃんは「□□ちゃん、いい子だから。」って必死に飲ませてた。
その後戻ってきたばあちゃんに風呂場に連れて行かれ、なぜか弟と共に丸坊主にされた。
そのとき弟はすでに意識混濁だったが・・。
その後、酒の影響もあってか、すぐに眠りについた。

翌日、じいちゃんに「今日はイカ釣りは駄目だな。波が荒くて危険だ。」と言われた。
快晴で風もないように思えたが。
昨夜のことを聞きたかったが、何かとんでもないことをしでかしてしまったように思い、結局誰にも聞けなかった。

やがて大きくなり、大学生になった俺は何年ぶりかにその出来事を思い出し、まず弟に聞いてみた。
すると弟は覚えていなかった。

無理もないだろう。
弟はそのとき小学一年生だったのだから。
次に両親に聞いてみた。
するとそんなことはなかったと言った。

「丸坊主にされたじゃん、とか酒飲まされたじゃん」、とか食い下がったが丸坊主にしたのは地域の野球チームに入るため、酒はあんたが興味本位で勝手に飲んでぶっ倒れた、などと言いくるめられた。

確かに小学三年頃から野球は始めたがそのために坊主にした覚えはない。
今にして思えばあの記憶は夢だったのだろうか、とさえ思う。
だが今でも瞼を閉じれば、あのときの恐ろしい女の顔がうっすらと浮かぶ・・・。
あの夏の出来事は一体なんだったのだろうか・・。

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