「東京の外れの百体地蔵寺の宵祭り」
この間、百体ばかりの地蔵が野ざらしに祀られた寺で献灯会があった。
日の沈む頃、人々は祈りを託した蝋燭を手に持ち、地蔵の前に置いていた。
闇のなかで点々と小さな焔が揺れ動く光景は、どこか幻想的であった。
宵の口になると、広場ではインドや東南アジアに伝わる面妖な音楽と濃厚な線香の香りが流れ、祭儀に使う極め細やかな意匠を施した装飾品を身に纏った一人の男が、舞台で剣を片手に舞い踊っていた。
ダンビラのような剣を、流れるように颯と翻す様は神々しかった。
踊りの舞台も終わった頃、いよいよ宵も深くなり、雨も降りだした。
雨宿りで人が集まったお堂の中では、誰しも見覚えのないような、妖しい映画の上映会があった。
抑揚のない古風な民謡が延々と流れ、紙粘土で作られた白い狐と老人が、まごまごと聞き取れない口調で会話をしていた。
にわかに場面は切り替わり、夕焼の山道で白い狐が赤い口を覗かせ人に襲いかかる。
湿気と寒気が同時に襲いかかり、汗が止まらなかった。
人々が固唾を飲んで映画を見守るお堂の中では、扇風機だけが必死に首を動かしていた。
雨のお堂で観る分には雰囲気と相まって面白そうな映画ではあったが、結局最後まで何の映画かはわからなかった。
民家の囲炉裏で、白い死に衣装を身に纏った老人が横たわる布団の前で、三人ほどの住職が三味線をだんだらと弾くシーンを背に私は、赤いほおずきの枝を片手に、宵の百体地蔵寺をあとにした。
ほおずきの枝を、暗い夜道で、ぼんぼりのようにかざして帰路につくなか、今宵は、終始妖しい光景のひろがる夢のような夜であったと、しみじみと思いかえしていた。
祭りの中では、妖しい光景が今なお広がっているのです。
夏は祭りの季節。
心のうずく季節ですな。
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