御船千鶴子は生きていた??
母から聞いた話。
戦争で親を亡くした私の母は、伯母(母の姉)に育てられていた。
母が15歳(仮)頃の話です。(実際何歳の時の話か正確な年は聞いていないですすいません。子供の頃としか)
伯母から薬をもらってくるようにおつかいを頼まれた。
薬をもらえる場所はバスに乗って行く程遠く、小さかった母はいつもバスに乗って薬をもらいに行っていた。
その日は途中で寄り道をしてしまい、バスに乗り遅れてしまったそうです。
田舎なので一日何本もバスがあるわけではなく、でも薬はもらって来なければいけないので、歩いてその場所まで行くことにしました。
とは言っても子供の足、薬をもらえる場所についたのは昼過ぎになってしまった。
何とかもらえないかとその場所へ入って行った。
ここで病院とは言わずに薬をもらえる場所と書いているのは、その場所というか薬の処方をする人が、神様の使い?と言われる人だった。
その神様の使いは目が悪く盲目だったと聞いている。
それでも病人を前に座れは悪いところをピタリと当て、それに合う薬を使用人に持ってこさせるという怪しげなところだった。
それでも、口コミで毎日大勢の方が薬を求めやって来ていた。
大勢に来られても全員に薬が割り当てられるはずもなく、先着順に見てある程度の人数で締めてしまうので、昼過ぎ着いた母は薬をもらえないと思っていたが、何とか薬をもらえるよう『お薬をください、お薬をください』と念じていた。(拝んでた?)
いつもは「次のもの」と声がかかるはずが、「遠くより来たものがおる、そのもの」といつもと違うことを行った使用人が一人一人に「この方ですか」と問うが「違う」、「違う」。
母の番になり、この人ですがと問うと「そのものじゃ」と。
使用人は母にどこから来ましたか?と問われ、「xxx村です」と答えると、「そうじゃ、そなたじゃ」ということで順番を飛ばして薬をもらえました。
なぜ母が選ばられたは不明です。
ここでその神様の使いと言う人ですが、私はリングでおなじみの山村貞子のモデルになった御船千鶴子さんの血縁者か、もしくは本人ではないかと思ってる。
なぜならば、母が薬をもらいに行ったと言ってるところが、熊本県宇土郡松合村(現不知火町)だったから。
Wikiを読むと病気の治療もやっていたようなので、本人ではないかと考えている。
しかしwikiには『服毒自殺を図り、翌日未明に24歳(1911年)で死亡した』と書いてある。
これが正しければ、母1935年生まれなのでとうの昔に亡くなっている。
マスコミに追い込まれ自殺ははかったのかもしれないが、本当は死んでいなかったのではないかと思う。
そのまま、マスコミから逃れるために死んだことにしたのではないか?
母は昭和10年(1935年)生まれなので、15歳だったとしたら1950年。
御船千鶴子さんが生きていたら64歳・・・。
みなさんどう思う???