蝉の鳴き声がする。
身を焦がす強い日差しに、夏の匂い。
その日俺は時間がないのに二度寝という、学生だからこそできる最高の贅沢を貪っていた。
昨日、不良仲間達が他校のやつらにやられ、仕返しに行って逆にボコボコにされて帰ってきた時の腫れが痛い。
だが本当に痛いのはプライドの方だった。
仇を取るなんて大見得を張った手前、学校に行きづらい。
1対多数だったなんて言い訳はしない。
俺は負けたのだ。
格下だと思っていた、馬鹿にしていた高校に「負けた」のだ。
俺のプライド、俺を支えていた一本の支え木が見事に折られた。
金属バットや角材で殴られるのはもう慣れている。
前歯は入れ歯だが、プライドだけは守ってきた。
一筋の涙が頬を伝う音がする。
その時、一人暮らしの家のチャイムが鳴る。
鳴るというか鳴り響く。
出てみると悪友が馴れない笑顔を見せ、そこに立っていた。
よくみると素足で、肩で息をしている。
何事かと思い、家に招いたがなにか妙だ。
2人しかいないのに3人、いや、もっと多い気配だ。
それも喧嘩の最中、生死を賭けた本気の戦いをしているような殺気だった気配。
悪友の、こいつの狙いはなんだ?
俺を外に誘い出して仲間と闇討ちでもかけるつもりか?
そんな事を考えているとふと、悪友の持っている物が見えた。
人形?
なぜこいつが人形なんか大事そうに抱えてるんだ?
俺は殺気立ってる気配に聞かれないように耳元で呟いた。
俺:「おまえ、人形なんか抱えてなにしてんだよ」
その時、見る見る悪友の顔が変わる。
その目は、その顔は、どんなに強敵でも、どんなに怖い奴でも喜び勇んで飛び込んで殴るわ蹴るわを繰り返してた奴の顔じゃない。
明らかに何かに恐怖している。
張り詰めた空気が流れるが事情を知らない俺はただ、その変化を見守る事しかできなかった。
瞬間、悪友がその唯一の手荷物の人形を投げ捨て、雄たけびを揚げ走り去って行った。
いや、この場合は逃げ・・・が正しいだろうか。
俺:「おまえ、この人形どうするんだよ!!」
そう叫んだが悪友はそれでも走っていった。
悪友が去った後、部屋に残る俺と人形と複数の殺気立った気配。
悪友がおかしくなったのはこの人形について尋ねた瞬間からだった。
俺は人形を拾いあげ、ソレを見つめる。
人形と目が合う。
俺:「こんな普通の人形になにをそんなに・・」
ギ・・ギ・・。
全身の毛が逆立つ。
本能がソレを手に持つ事を拒む。
明らかに「ソレ」は表情を変えた。
白い能面的な顔だったが、明らかに「ソレ」は俺に敵意を持った。
今にも動き出して俺をどうにかしようという意思をはっきりと汲み取った。
全身に汗が噴出す。
俺は以前同じような経験があったため、すぐ悟る。
以前、筋モンに絡まれた時、その喧嘩を買い、本気でコンクリートに生きたまま埋められそうになった時がある。
その時、絶望と恐怖とで、死を覚悟したものだが、あの時は本当に運がよく、警察が来てくれて助かった。
その恐怖、絶望が今まさに俺が手に持つ、このちっぽけな人形から再び感じ取れたのだ。
絶対的な「死」それを悟らされたのだ。
だが経験があるのと無いのじゃ大きな差がある。
悪友はその恐怖に慣れていなかったから、考える余地もないまま逃げ出したのだろう。
事実、俺も今すぐに逃げ出したかった。
だが、その経験が俺に冷静に判断する一瞬の余地を与えてくれた。
俺はその人形を叩き壊したのだ。
何度も何度も足を持ち、床に叩き付けた。
やがて妙な気配が去るまで叩きつけてた俺は、人形から出てきた一つの紙切れに気がついた。
「一二三」
そう赤い文字で書かれていた。
おそらく血だろう。
俺は冷静になった頭で考えて、点と点を繋げて一つの考えが生まれた。
悪友のやさしい祖母、名前は一二三。
悪友に憑いたこの人形。
もしかして・・・。
いや、この話は悪友には黙っておこう・・・。
後日、カッコつけるのがかっこいいと思っている悪友はあんな姿を俺に見られたのが嫌なのか、あまりつるまなくなった。
だが相変わらず派手に暴れているようだ。
色々と生傷が絶えない。
俺の方はあれ以来、妙な物を見るようになった。
以前まで一切見えなかった物が見えるようになり音や声、その他の物が俺を苛立たせる。
ついに喧嘩で脳がイカレタかと思っていたがそうではないらしい。
情報を集めてみたが結局、この見えている物に対してのコレといった情報もない。