じいちゃんが戦争で南方にいってた時の話。
日本軍は兵站(へいたん)を軽視していたから、餓死とか病死ばっかで、本当に悲惨だったらしい。
※【兵站(へいたん)】:軍事装備の調達,補給,整備,修理および人員・装備の輸送,展開,管理運用についての総合的な軍事業務
友軍が死ぬと、遺族のために遺骨を作らなくてはならないから、指を切って持ってくのね。
ある日、敵の奇襲を受けて仲間が一人撃たれた。
「ああ、死んだ・・・」と思ったじいさんと上官は危険だったが駆け寄って、指を切ろうとした。
すると、死んでると思った仲間が「うーうー」唸りだした。
じいさん:「ま、まだ生きてます。」
上官:「なに!」
けれども、銃弾が飛び交う中、迷ってる訳にはいかない。
死ぬのを待ってたら、こっちが撃たれる。
ほったらかして逃げたら、ご遺族に遺骨が届かない。
やはりご遺族に遺骨を届けるのが優先だ・・・と、言う事になった。
それで、生きたまま指一本切ってったんだが、さすがに切られる方は滅茶苦茶痛そうだったそうだ。
終戦後、昭和30年位の事、用事があって東京に来てたじいさんは、東京駅で、あの仲間が歩いてるのを見かけた。
「あっ、幽霊だ!」と思ったが、リアルすぎる。
他人の空似にしては似すぎている。
話しかけたらやっぱりあの仲間だった。
仲間:「おおっ、生きてたのか。いやーこんな処であえるとは、うれしいな。」
じいさん:「それは、俺のセリフだ!お前腹撃たれてたじゃないか!」
話を聞くと、弾は本当に偶然、内臓を押し分けて背中に貫通してたらしい。
それで、イギリス軍の捕虜になって助かったと。
その仲間は手をひゅっと挙げて、指の一本ない手を見せ、
仲間:「いやー、あの時は痛かったぜ、はっはっはっはっは。」
仲間は恨んでる風もなかったが、じいさんは顔を引きつらせながら笑ったそうな。