人の本気は死者の魂を打つ

カテゴリー「不思議体験」

今年も、高野山から観月会の誘いが届いた。
添えられた便りには『今年は静かです』と記されていた。

「ああ、もう1年か。早いな・・・」

俺は去年の事を思い出した。
──それは、ちょうど9月の半ば過ぎの事だった。
観月会の誘いが俺に届いた。

こんな風流な事をするヤツは誰か?、と思ったら、高2の時の同級生の白井だった。
寺の息子でもないのに、今は出家して和歌山県の高野山にいるとの事。
他にヤツが誘ったのは、あの頃山岳部で同期だった伊藤・梶・島田・星野・藤田・中井。
彼岸は、寺が忙しいのじゃないかと心配したが、本人は新米なので留守番なのだと言う。
何年ぶりかの同期会の意味も込めて、俺たちは白井の誘いを受けた。

高野山はずいぶん開けているとは言え、やはり霊場特有の空気を持っている。
奥へ入れば入るほどその気配は濃厚になるし、参道から1本裏へ回れば、その先は物の怪どもが跋扈していてもおかしくないぐらい、うっそりとした木々が立ち並んでいる。

街中ではまだ日中残暑に喘ぐ事もあるが、ここではもうすっかり秋の気配が漂っていて、空気は冷たく、当たり前のように虫が鳴いている。
月が変われば紅葉が始まるだろう。

白井のいる寺は、宿坊などのある辺りから少し外れた、静かな所にあった。
俺たちが訪ねて行くと、灰色の作務衣に身を包み、落ち着いた雰囲気の白井が出迎えてくれた。
昔の何事に付け自信無さげだった面影は全然ない。
奥の小部屋へ通されるなり、白井の整えてくれたものと、こっちが持ち込んだもので、さっそく宴が始まる。

10年は決して短かくない。
俺たちはそれなりに隔たっていたはずなのに、こうして顔を合わせれば、時間は一挙に17歳だった頃に遡り、そこから各自の人生をなぞり始める。
仲間とは、なんと不思議なものか。
裏庭に面した縁側の障子を開け放っているから、山の肌寒いほどの風が入ってくるが、それも今の俺たちには心地良い。

そっちで煙草を吸おうと立ち上がったら、梶も同じ事を考えたらしい。

「何だよ、おまえら。また連れ煙草か?」

「あー、変わんねぇな。ハシ先輩や石田先輩に見つかって、怒られてたもんな」

「うっせえよ」

仲間たちに冷やかされながら、縁側に腰掛けた。
玲瓏の月、と呼べるのはやはり冬の月だろうし、望月には少し間がある。
それでも、調和の取れた虫の音を聞きながら、黒々とした陰を落とす木々の上、濃紺に銀粒を散らした天空に輝く艶めいた月を眺められるのは、山の上ならではの事。
煙草をくゆらせながら月に見とれていたら、何処からか、男性の声で歌のようなものが聞こえて来た。

・・・あーー~~ーーぁあー~ー~・・・・・・

初めは謡曲かと思ったが、どうやら仏を讃誦する声明らしい。
おかしな事に、虫の声が少しずつ消えて行き、終いには全く聞こえなくなってしまった。
その異様さは部屋の中にいた連中にもわかったらしい。
たちまちテンションが落ち、話し声も自然と声を潜めたものになる。「なんだよ、アレ・・・わからない」と、白井が顔を曇らせる。

「この間から毎日30分ぐらい、聞こえるんだ。」

声の主は、喉を使い慣れた者、読経などの独特な発声に慣れ親しんだ者のようだった。
高く低く、時に揺れながら、一心にただ一心に仏を賛美し、詠嘆する思いが伝わってくる。

・・・あ~~~~~ぁあ、あーーーぁ~~あ・・・・・・

しばらく押し黙ったまま、俺たちはそれを聴いていたが、梶がその沈黙を破った。

「可哀想だな・・・」

みんな思わず梶を見た。
どう言う事だよ?言葉には出さなかったが、みんなの気持ちが伝わったようだ。
灰皿で煙草を消しながら、静かに梶が言う。

「だってさ、このオッサンが生きてて歌の練習してるだけならいいけど、死んでるのに、まぁだこんなモン歌ってるんなら、迷ってあの世に行ってねぇって事だろうが」

ふっ・・・声明が止んだ。
余韻も何もない・・・。
と胸を突かれた、そんな風な切れ方。

「図星だったかな・・・」

一人で2升空けたヤツとは到底思えない、梶の冷静な声。
辺りにはただ少し、木の葉が風にざわめく音があるのみ。
梶が裸足で庭にすっくと降り立った。
そうしてひとつ大きく息をすると、腹にびしっと響く声で呼ばわった。

「おい、オッサン!一生懸命生きたんなら、今度は一生懸命死ね!こんなとこで彷徨って。あーあー詠ってたって、道は開けねぇぞ!」

・・・・・・・・・
数秒間の静寂。

それから、突如、ケダモノが致命傷を負ったかのような喚き声が上がる。

・・・おうっおぁああああっ!!

その何かは、山の下草をざわつかせながら、やがて遠くへと去って行った。
珍しく長セリフを吐いた梶は、もういつもの清まし顔で再び縁側に腰を降ろし、次の煙草に火を点けている。
しばらくして、虫が、何事もなかったかのように、また鳴き始めた。

「・・・梶、おまえ一体何に引導渡したんだ?」

恐る恐る尋ねると、「知らん」至極あっさりした返答だった。

それから2・3日して、白井から便りが届いた。

『あの夜以来、もう声明は聞こえません。誰がどうして詠っていたのかわかりませんが、人の本気は魂を打つのだと教えられました。仏は普遍在と実感した次第です・・・(略)・・・今後も一層修行に励むつもりです。合唱』

手紙はそう締めくくられていた。
あれも一期一会の縁と言うものなのだろうか。夜空の満月を眺めながら、そんな風に考えた。

ブログランキング参加中!

鵺速では、以下のブログランキングに参加しています。

当サイトを気に入って頂けたり、体験談を読んでビビった時にポチってもらえるとサイト更新の励みになります!