のっぴきならない理由で夜間避難小屋まで退避したことがある。
そのとき体験した恐怖はいまだ忘れることができない。
日中はまだ残暑がきびしく、日が暮れると月が明るい季節だったように思う。
おそらく昭和の終わり頃だったろう。
仲間の一人が重い喘息を起こしたため、悩んだ末に病人を連れてメンバー四人全員で山を降りることにしたのだ。
人ひとりをサポートしながら下山するのは皆初めてのことで、思った以上に難儀であり、標高差1000m程度が永遠のようだった。
ガレ場から這松林、鬱蒼としたクマザサの薮漕ぎまで、地形はバリエーションに富む。
途中、しんがり役が慣れない夜道でなにかに足をとられ捻挫を負ってしまい、全員がますますペースを
落とさざるを得なくなった。
先頭の私もヘッドライトが暗くなるにつれ、鈍痛のような不安が込み上げてくるのだった。
どのくらい歩いただろうか、誰かが二時間だと言えばそうだとも言えるし、とにかく時間の感覚がつかめない。
せいぜい日は跨いでいないだろう、くらいの感覚。
帰路はなじみのルートから大幅に逸れていた。
が、避難小屋があること、そこから登山口までが最短かつ車の往来が期待できることから、ほぼ選択の余地はなかった、といまでも思っている。
むろん携帯電話などない時代だ。
誰かが休もうと言ったので我にかえった。
そこは大岩が割れて風化したような印象で、ちょっとした切り通しのようにも思えた。
多少の雨風ならしのげそうな地形だが、幸い星がみえ、月も照っていた、と思う。
「あの稜線に見える星は惑星だ。時間的に火星」と誰かが言ったのを憶えているからだ。
火か金か憶えていないが、やけに耳にしみるフレーズだった。
新月なら稜線は見えなかっただろう。
小休止しつつ各自の装備から何にしていも必要なものをピックアップした。
一泊とはいえ、正直ナメていたと思う。
安全マージンなどゼロに等しかった。
急病人(Aくん)を運ぶことばかり頭にあったが、ここで一旦装備を固め、気持ち的にも落ち着くことが必要というムードがあった。
なんとか焦りをうっちゃりたかった。
一番ありがたかったのは単3乾電池の予備6本と小型懐中電灯が出てきたことだ。
これで明かりはなんとかなるだろう・・・そう思えるだけでかなり心理的に楽になった。
いいときも悪いときも気持ちというのは敏感に伝わるものだ。
みんな和んでいる。
私はゲータレードの粉末を舐めたり、Aくんに気管支拡張剤を飲ませたりしていた。
途中捻挫した彼(Bくん)が私の後についていたのだが、タオルで痛みを抑える工夫をしている様子だった。
しんがり役のあとを受けた彼(Cくん)は、小型ラジオを取り出してAM波を捜しているようだった。
最初の恐怖は音だった。
狸囃子。(たぬきばやし)
※狸囃子(たぬきばやし)は、日本全国に伝わる音の怪異。深夜になるとどこからともなく、笛や太鼓などの囃子の音が聞こえてくるというもの。
なんとなく落ち着いて、しばらく誰も口をきかなかった。
ラジオをいじっていたCくんは何も受信していないノイズのまま、いつのまにかボリュームを上げていた。
すると大岩に背もたれて咳込んでいたAくんが「いよいよだめかもしれない」と、こちらを向いて自分の頭を指さし、キッパリと言った。
「オレのここのなかでさあ、なにかが大勢で騒いでいる」
彼のキッパリした口調と不気味な言動に、私とBくんは絶句したが、すぐに私はCくんに「ちょっ、なにやってんだ、ラジオ消せ!」とたしなめた。
Cくんは目を大きく見開いて「つけてないんだけど?!消したんだけど!」と声をひっくり返して叫んでいる。
一瞬私はAくんの頭のなかに入ってしまったのかと錯覚した。
たぶん、その場に居合わせた全員がそう思ったにちがいない。
我々の周囲の空気が震えているような気がした。
あの音を言葉にすると“喧騒”と表現する以外に方法はない。
なんというか、お互いの会話が困難なほどの“喧騒”だ。
しかもどこから聞こえてくるのか距離感がまったくつかめない。
気がつくと、腰を屈め片耳に手を当て、もう一方の手で上を指さしているBがなにかしゃべりながら近づいてきた。
「上、上。上だ。上のほうらしい」
私はBの声が聞こえたことで、すこしだけ冷静さを取り戻した。
つられて見上げれば、切り通しの上空には暗い空があるだけだった。
口の中が猛烈に乾いていた。
私はその場にとどまり、喧騒のなかに身を置いていた。
Aはかなり落ち込んでいるらしく、岩に寄り掛かったままうつむいている。
ほどなくCが棒切れを振り回しながら戻り、開口一番「どうもここいら一帯みたいだ。近くでもなし、そう遠くでもなしだ」と。
次第に音は遠退いているようにも思えた。
「まあ、あれだ。悪さするようなものじゃないな」
誰かが声を出すと元気が戻ってくる。
徐々に我々の動揺もおさまり、次第に冷静さを取り戻しつつあった。
フレームザックの中を物色していたBが「誰か、教えて欲しいんだが、、、えーと時計、時計」
一同がBを注視すると彼は「いま西暦何年なのかが知りたいのだ」と真顔でのたまった。
「・・・・・・・」
「冗談だ。時間だ。“これ”が起きている時間を記録したい」
Cはザックのショルダーベルトにくくりつけていたごついウレタンの液晶腕時計を素早く読み取り「あと5分で0時」と囁いた。
誰かが「我々はいま人類の代表としてたいへん光栄な出来事に遭遇している」と言った。
Bの冷静さとウケ狙いで、場がかなりなごんだようだった。
私は水をさすように言った。
「C、単独で動くな。ひとり、またひとりといなくるパターンはつまらない映画みたいじゃないか」
その後『タイムトラベラー』や『サバイバル』、『未知との遭遇』などの話題が出たように思う。
薬の影響もあってか、Aの病状もだいぶ持ち直していたようだ。
私はそのころ熱心だった民俗学や気象に関する知識のなかから、狸囃子という現象をぼんやりと思い浮かべていたが、それを口に出すことはなかった。
そんな説明はなんの解決にもならないような気がしたからだ。
切り通しでは更なる恐怖が我々を待ち受けていた。
もっと迅速に行動すべきだったのだ。