オレの行っていた高校は私学で校則も当時(昭和52)としては緩やかだった。
バイクの免許を取ったりバイクを買ったりはOKだったが、学校まで乗って来るのはNGだった。
でもそんな校則お構いなしって輩はどのクラスにも何人かは居てオレもその中の一人だった。
で、話は高校2年の夏休み前の事で、期末試験も終わり、学校から直接に友人宅で夜の9時頃まで遊んでた。
オレはその頃京都に住んでいて学校と友人宅は大阪だったので、自宅にまでバイクを飛ばしても1時間以上かかった。
住んでた場所は京都のベッドタウンの奥の方で、夜9時ともなると誰も歩いて居ないような場所だった。
そして多分夜の10時過ぎだったと思う・・・。
鬱蒼とした曲がりくねった竹やぶの道を抜けると、少し開けたような場所に阪急電車の踏み切りがあった。
いつも通ってる裏道だ。
もう少しで踏み切り!って所で遮断機につかまった、闇の中に眩しく光る遮断機の赤い警告灯とバイクのヘッドライトの光に揺らめく2ストのアイドリングの排気煙が不気味な感じだったのを今でもはっきりと覚えている。
もともと寂しい場所に有る踏み切りだった為、他には誰も居なく、もちろん対向にも人はおろか車の影も見えなかった。
そして「プア~~ン」と言う汽笛?が聞えたと思ったら列車が目の前を轟音で走り去って行った。
流れる様な窓ガラスの明るい光が印象的だった。
やがて遮断機もあがりバイクを発進させようと思ったら珍しくエンスト。
それが不思議な事に何回必死になってキックしても(セル無し)エンジンがかからない。
「かぶったのかなぁ?」とにかくまた電車が来たらイヤなので踏み切りの向こうで再度チャレンジする事に・・・。
仕方なくバイクを降りて押して踏み切りの真ん中あたりまで来た時の事だった。
「たすけて!!」
確かに聞えた。
少女の様な声だった。
「たすけて!!!」
また聞えた、声が聞えた方を振り向くとなんて言うのか踏み切りの人とか車とかが渡る部分の木?の最後の場所?要するにその渡る木の部分と線路の境目になにか白い綿?みたいな・・・最初は白い犬かと思ったがすぐに違うと思った。
なぜかと言うとその綿が「助けて助けて」と言っていた。
オレは恐怖で心臓がクチから出そうだったが、なぜか目を見開き、踏み切りの電灯に暗くもはっきりと浮かび上がるその物体を凝視していた。
その時、一段とはっきりした声で「たすけて!!!」って声と共に目にも止まらぬ速さでオレの首あたりに巻き付いた。
あのなんとも言えない冷たい感触!
「うわあああ~~!!」
オレは叫びながらバイクを押して走った!
踏み切りを渡りきってキックすると、なんとかエンジンがかかった。
死ぬほどぶっ飛ばして家まで走った!
首に纏わり付いていた綿はどこにも無かったが、ひざがガクガクしてバイクのスタンドが立てられなかった・・・。