アメリカの人種差別は深い

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

人種差別が絡む事件などはどれも後味悪いね・・・。

ジャズの巨匠アート・ブレイキー(黒人)のエピソード。

素晴らしいメンバーを従えてアート・ブレイキーが初めて羽田空港に降り立ったのは、1961年元日の夜10時のことだった。
機内から外へ出た瞬間にブレイキーが目にしたのは、花束を持ち、こちらに向かって熱狂的に手を振っている無数の若者達。
彼は、いったい同じ機にどんな有名人が乗っていたのだろうと思ったのだが、これが実は自分達を歓迎するファンの渦だと知ったとき、彼の目からは大粒の涙があふれた。

アフリカン・アメリカンとして、常に差別を意識せざる得ない状況の中で生きてきたブレイキーにとって、この、彼らへのただ手放しの歓迎ぶりは、にわかには信じられないことだったのだ。

タラップを降りるとファンからの花束に埋もれ、スピーチを求められても涙が止まらなくてとてもそれどころではない。
すると、ファンの一人がブレイキーに近づいて来て、こう言ったのです。

熱狂ファン:「ミスター・ブレイキー!お願いがあります。」

ブレイキー:「何だい?」

熱狂ファン:「僕と一緒に写真を撮って下さいませんか?」

ブレイキー:「は?本気か?」

熱狂ファン:「もちろんです!是非、是非お願いします」

ブレイキー:「俺は黒人だが・・・そんな俺と同じ写真に写っていいのかい?」

熱狂ファン:「そんなこと知ってますよ。是非お願いします。記念にしたいんです」

ブレイキー:「俺は黒人だぜ。本当にいいのか?」

当時のアート・ブレイキーと言ったら、ジャズ・シーンのスーパー・スターです。
そんなブレイキーでも本国アメリカでは、ごく普通に差別されていた・・・。
そんな時、日本国民は、素晴らしい音楽を日本まで運んで来てくれたスーパー・スター、アート・ブレイキーに心から感謝し、尊敬し、それをごく普通に態度で示したのです。
これって、涙が出るほど素晴らしいことですよね。

のちにアート・ブレイキーはこう語ったそうです。

ブレイキー:「我々を人間として迎えてくれたのは、アフリカと日本だけだ」

大の親日家になったブレイキーは、その後、日本女性を妻に娶りました。

1960年代ならまだしも、ほんの二十年ほど前の話。

近い話だと・・・日本のプロ野球の、いわゆる『助っ人外人』だった黒人選手。
試合後のロッカールームでうろうろしていたら、監督だかコーチだかに「何やってんだ、みんなと一緒に風呂に入ってこいよ」と促され、大感激したそうだ。

『黒人』がプールであれスパであれ、同じ水(湯)に浸かるなんてありえないことだったらしい。

アメリカの闇は日本人が思うより深い。

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