地雷の近くで遊ぶ理由

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

私は昨年まで外資系の企業に勤めていた。
ある時、私にC国へ出向してほしいという打診があった。
会社はC国に工場を所有しており、そこの技術者に日本の工場で採用されているシステムを修得させるのが目的だった。
長期とは言っても、現地スタッフによる運用が可能となるまでの期間限定の出向だ。
現地での待遇も、帰ってきてからのポストも非常に良い条件だった。
私は少し考えた上で承諾した。

C国の工場で引継を終えた夜、私は前任者と食事を共にした。
前任者(仮にT氏としておく)は赴任してから半年後に、健康上の理由から日本への帰国を希望していた。
目の前のT氏は、確かに頬がこけていて顔色が悪く、心身共に疲れ切っているような印象だった。

T氏は、現地での生活について様々なアドバイスをしてくれたのだが、中でも「倉庫の裏にある丘には決して近づくな」というようなことを、ことさら強調した。
私がその理由を尋ねても、T氏は口を噤んだままだった。

やがてT氏は帰国し、私のC国での生活が始まった。

C国は最近まで激しい内戦が続き、それが国民の生活に大きな影を落としていた。
工場の周辺は農村地帯だったので、破壊行為の跡などはあまり見られなかった。
しかしゲリラによる虐殺や略奪はこのあたりの集落にも及んでいるようだった。
働き手や財産を内戦で失った家庭などは、日々の生活すらも全く困窮している有様だった。

そんな家の子供は工場へと続く道端で半ば物乞いのような事をさせられていた。
また工場に雇われている労働者には、夫を亡くした女が優先的に採用されていた。
彼女らの子供は母親が仕事を終えるまで、工場の近くで遊んでいる。
工場の周辺には、そんな訳ありの子供が大勢集まっていた。
私はいつの頃からか、そんな子供達と仲良くなり、昼休みや仕事がヒマな時などは彼らの遊び相手になることもしばしばだった。

そんなある昼休みのことだった。

いつも工場の周りで遊んでいるKという子供が、面白い所があるから一緒に行ってみようと私を誘った。
近くだからというK君の言葉を信じて、私はK君と彼の妹のSちゃんと一緒に、工場の脇の林に向かって歩きだした。
しばらく木立の中を歩いていくと、急に視界が開けて広い空き地のような所に出た。
K君とSちゃんは、そこでサッカーのようなことをして遊び始めた。
私も混ざってみたけれど、K君のボール捌きはなかなかのもので、K君のボールを奪うことは出来なかった。
そうこうするうちに昼休みも終わり私は職場へ戻った。

何日かして、K君とSちゃんと私は、やはりあの空き地へやって来た。
私は木陰で、ぼんやりとK君とSちゃんの遊ぶ姿を眺めていた。
ふと視線を工場の方に向けると、少し離れたところに倉庫が見えた。
そこで、以前T氏が言っていたことを思い出した。

「倉庫の裏にある丘には決して近づくな」

そういえば、ここの地形は少し盛り上がっていて、丘のような感じがする・・・。

私は近くにいたK君を呼びかけ、もう帰ろうと誘った。
Sちゃんを探すと、反対側の木立の辺りに立って、何かをジッと見つめているようだった。
見ると、黄色いオモチャのようなモノが落ちている。
それを拾おうとして、Sちゃんはしゃがみ込んだ。
私は、Sちゃんの方へ足を踏み出し、帰るよと呼びかけようとした。
すると、K君が袖を掴んで軽く引っ張った。
私は思わずK君の方を向いた。

ドンッ!

突然、腹に響くような大きな音がして、私はSちゃんの方を振り向いた。
Sちゃんは地面に倒れていた。
私は急いで駆け寄ったがダメだった。
足や手があり得ない方向に曲がっていて、体の下から血が溢れている。
しばらく呆然と立ち竦んでいた。
しかし、不意にSちゃんの拾おうとしていた黄色いモノが地雷であったことに気付いた。

もちろん対人地雷のことはC国に来る前から聞いていた。
子供が興味を持つような色や形の地雷があることも、世界各国でそれらの犠牲となり、手足を失った子供の写真も見たことがある。

しかし、私には実感がなかった。

Sちゃんの、無惨な遺体を見るまでは私の目の前で幼い子供が犠牲になるなど考えてもみなかった。
振り返ると、K君が顔をクシャクシャにして泣いていた。

Sちゃんが死んだ丘は、法的には工場の敷地だった。
実際には、地雷の危険性があったということで、立ち入り禁止となっていた。
しかし、そこを囲っていた有刺鉄線はとっくに盗まれていたということだった。

私はSちゃんの家族に会って謝ろうと思ったが、工場長をはじめ、現地のスタッフは皆が反対した。

「あれは事故だ。断じてあなたのせいではない。」

皆が、そう言って私を慰めてくれた。
後に工場長からSちゃんの家族には会社から見舞金が渡された、と聞かされた。

私はしばらくの間、自宅で休養した。
工場に戻っても、以前のように子供と遊ぶ気にはならなかった。
K君と会うことも、二度となかった。

やがて月日がたち、当初の目的を果たした私は日本へ帰ることになった。
帰国した私は、真っ先にT氏に連絡を取り会う約束を取り付けた。

T氏は私を見るなり、何かに気付いたようで深いため息をついて言った。
「ご愁傷様だな。」

私は少し間をおいてT氏に尋ねた。

「あなたも、あそこで同じような体験をしたんですね。」

「ああ、私の時は男の子だったよ。赤い地雷だった。」

「・・・その後は?」

「たぶん君と同じだ。一月もすると別の子供が誘いに来た。行ってみると、有刺鉄線など、どこにもなかった。」
T氏はひどく悲しそうな目をしていた。

「それからは、ひっきりなしだ。兄弟連れで、何人も何人も・・」

Sちゃんの家族の手に渡った見舞金。
我々にとっては、はした金程度のものでも、C国では家族を数年養えるだけの価値がある。
おまけに養う口は一つ減るのだ。

しばらくの間、T氏と私は子供達の運命を呪うように、黙って俯いていた。

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