母は新潟の雪深い山村の出身である。
怖い話しをする性格ではないのだが、ひとつだけ語った話。
戦後の食糧難で粗食に耐えていた幼少の頃、人さらいが出ると噂になった。
道を聞くようなフリをして、女・子供をさらっていくと云う。
隣の村で男の子が行方不明になって、近隣の村まで大騒ぎで山狩りをした。
その時の騒然とした村の様子は忘れられない記憶らしい。
しかし、行方不明の子供は見つからず、何ヶ月も過ぎて忘れていった。
何年か後に町に行く機会があって、昔、男の子が行方不明になった村を通過した。
人口の少ない山村なので、どこの家の子かは分かっている。
バスの停留所から見えるのである。
その家の前には新しい小さなお地蔵様がおられた。
家自体は雨戸を閉め切って、屋根も草が生えて、かろうじて洗濯物が干されている事が人の居る証だった。
母のお母さん(祖母)とお父さん(祖父)は普通を装っていたが、やはり辛そうな、切なそうな雰囲気があったという。
詳しいことは教えてもらえなかった。
成人するぐらいになって、話が聞こえるようになった。
行方不明になった男の子は、あの家の子供ではなかった。
遠くの親類が、口減らしの事情で預けていた子供だったらしい。
都会より田舎の方が食うには困らない時代だったのだろうが、預けられた先は残念ながら困窮していたらしい。
母のいた村でも子供の頃から、栗とか栃の実とか、ワラビやタラの芽とか山で採れるものを判別する。
遊びながらも食料の確保をする。
しかし、よそから来た男の子はまだそこまでではなかった。
知らないうちに「渡る」と言う毒キノコを食べてしまったらしい。
三途の川を渡るから「ワタル」と云うらしいが、母は“そんなことを教えなかった事”が嘘くさいと言った。
村の人達の複雑な表情や、祖母や祖父がハッキリ教えてくれない理由、ある時期から村八分みたいになったあの家の住人。
思い起こせばすべてが一つの方向に答えを出していた。
母:「昔はどこも子だくさんやったんや・・・」
母の思い描いた答えが真実なら、悲しくてやりきれない話だと思った。