人間を神への生贄習慣

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

あまり怖くはないでしょうが、書き込みさせて頂きます、実体験です。

私の家は山奥の集落にあります。
小さい頃は山で遊ぶのが私の日課でした。

ある日知らない男の人に話しかけられ、どこかに連れて行かれそうになりました。
今思えば古典的な誘拐だったのでしょうが、当時の私はホイホイついていきました。

腕を掴まれ引っ張られていくうちに、男は迷ったのか足を止めます。
なにせ山奥ですから、目印も特徴的な景色も何一つありはしません。

「ああ、迷っちゃったんだな。元の場所に戻らないと」と思い、男について来るように言い、来た道を戻りました。

少し歩き後ろを向いたら男はいませんでした。
はぐれたのか?と思い少し探してみますが、歩いた山道にはいません。
仕方ない、自分だけでも帰ろうと自分の家まで戻ったら何故か警察。

一週間私は家に戻っていなかったそうです。
数週間してから身元不明の男性の死体が発見されたと親に聞きました。

所謂神隠しみたいなものだったのでしょうか。

未だに分かりませんが、この出来事が起きてから集落のお年寄りは「捧げねば、捧げねば」と私を見るたびに言います。

いくら文明が遅れている集落だからといって人身御供(ひとみごくう)は嫌です。
神隠しよりも人身御供の方が最近は恐ろしく感じます。

※人身御供(ひとみごくう)とは、人間を神への生贄とすること。

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