人型のシミを写真に撮り続けた

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

『アンダーパスの側面に人型のシミ』がある。

土曜日、夕雨の降りだした午後七時頃のことだ。

その日は朝から用事があってお隣の市街地までカブで出掛けていた。

用事を済まし、帰り道。
路面電車の線路といくつかの車道と歩道橋が交錯する立体交差点、その地下道を抜けようとしていた時だった。

視界の端、コンクリートの側面に人型の薄黒いシミが見えた。
それは、はっきりとヒトの形をしていた。

足を広げ身体を弓なりに反らし、バンザイの恰好をしている。
思わず首を曲げてしまい、一瞬ハンドルが躍ったがなんとか立て直し、地下道を抜けた先の路肩にカブを停めた。

今しがた見たものを頭の中で反芻する。
行きにも同じ道を通ったのだが、あんなものなかったはずだ。
それとも見逃していたのか。
そもそもこの道は何度も通っているが、人型のシミなど見たのは初めてだ。

Uターンしてもう一度交差点の下をくぐってみる。
小さな頃から単騎での心霊スポット巡りを趣味かライフワークとしている身としては、現役の心霊スポットもそうだが、心霊スポットである可能性のある場所、もしくは過去にそうであった、未来でそうなるかもしれない場所についてもチェックしておかねばならない。

地下道は片側一車線なので、車に気をつけつつシミの手前で速度を落とす。
輪郭は多少ぼやけているが、やはりはっきりと人型のシミだ。
シンボルとしての人型というか、ポーズは違うが非常口の緑ランプに用いられている人型が一番近い。

灰色のコンクリートの壁面に薄黒く浮かび上がっている。
反り返ってバンザイをしている形かと思ったが、再度見てみると何かに覆いかぶさるように身体を広げているようにも見える。

後ろから車の気配がして、カブの速度を上げる。
出来れば降り立ってじっくり眺めたいのだが、ここは道も狭いし歩道もない。
一度地下道を出て、車が来ない間を見計らい三たび地下道をくぐり直す。
その際、シミの横で一瞬カブを停めて携帯で写真を撮り、とりあえずその日は家路に着いた。

というわけで、後日また見に行くことにした。

再訪は数日後、車通りの少ない真夜中。
今回は携帯ではなくちゃんとしたカメラを携え大学近くのぼろアパートを出発した。

空にはぽっちゃりとした月が浮かんでいて比較的明るい夜だ。
あれから地下道のシミに関する情報を集めてみたのだが、そもそもあの地下道に人型のシミがあることを知る人間が皆無で、唯一バイト先のバーのマスターが数年前あの場所でそこそこ大きな事故があったと教えてくれた。
しかし、それも死者が出たかどうか等の詳しい話は覚えてないとのことだった。

まあ、火の無いところに煙は立たないが、例え煙がなくともそこに火が無いとは限らない。
そんなことを考えながら夜道を走る。
この時間帯はトラックが多く、ぶつかってもカブでは勝ち目がないので安全運転を心がけた。

アパートを出て約三十分。
無事、目的の立体交差点にたどり着く。

後続車が来ていないことを確かめて地下道に入った。
天井には白色の電灯が据えられており、こちら側からだとシミは向かって右手、対向車線側の壁面に見えるはずだ。

見逃さないよう徐行しつつ中央ギリギリまで右に寄せて、シミを探した。

無い。
見つからないまま地下道を出てしまった。

一旦道路脇に停車して携帯を取り出し、この前撮った現場の写真を表示する。
薄黒い人型のシミ。
コンクリートの壁面を正面から撮ったので場所は分からないが、確に写っている。

もう一度、地下道をくぐってみる。
今度はすぐ左手の壁に見えるはずだ。

無い。
どこにも見えない。

再び地下道を出て路肩に停車する。
近くの自販機でコーヒーを買って飲みつつ、シミが消えてしまった原因を考えた。

最近壁の清掃でもあったのだろうか。
しかし、それにしては以前より綺麗になったという印象も無い。
ならば、あの人型のシミだけ消したのか。
住民から消してくれと要請があったのかもしれない。
そうでなければ、あのシミは条件によって現れたり消えたりするのか?

霊的な条件か、物理的な条件か。
前者であれば検証は難しいが、後者ならば簡単だ。
この前シミを目撃した時の条件をまた揃えればいい。

時間は今より数時間早く、天候は雨。
雨。
なるほど、雨かもしれない。

何となく納得し、今後の方針も決まったところで立体交差点を後にする。

というわけで、雨の降る日を狙って、後日また見に行くことにした。

雨は約一週間後に降った。
夕方、六時過ぎにアパートを出発する。
合羽を着て、強くもなく弱くもない雨の中カブを走らせる。

仕事帰りの車の流れに乗って三十分、地下道に到着した。
右手の壁を意識しながら、他の車に気をつけつつ出来るだけゆっくり走行する。
そうして地下道の丁度中心辺りで、それを見つけた。

あった。
人型のシミだ。

やはり、雨の日に出るのだ。

はやる気持ちを抑え、とりあえずは一度地下道を通り抜ける。
しばらく行ったところでUターンし、再びシミの前、小さな水溜まりの上で停車した。

おや、と思う。

シミの形が、以前と違う気がする。
出掛ける前に写真を確認しておいたので間違いない。
前は両手でバンザイをしていたのだが、今日は片腕しか上がっていない。
身体の反り方も少し大人しいように見える。

とりあえず現場の写真を撮って、地下道を出たところで見返してみた。

やはり少し違う。
形が違うとはどういうことか。
あのシミは動くのか?

時間はあるので、何度も往復して観察することにした。
数時間かけて地下道をぐるぐると回る。
その中で、あのシミは車が撥ねた水が壁に掛かり出来たものらしい、ということが分かった。

シミが浮かぶ場所は地下道の丁度真ん中、一番深い場所だ。
降った雨が両側から伝い白線沿いのくぼみに水がたまる。
その泥水を車が撥ね上げ壁にシミを作るのだ。

なるほど、シミ発生の経緯は納得できた。
次の問題は何故それが人型なのか、といった点だ。

偶然、と言ってしまえば簡単だが、それは最後の手段にとっておく。
シミの形は車が泥を撥ね上げるたび微妙に変化するが、基本的に人型なのは変わりがないようだ。
一部だけ酸性雨が掛かりすぎてコンクリートの性質が変化したとか、そういうことだろうか。

残念ながら、その日の観察では原因は掴めなかった。

しかし、原因が掴めなかったということは、まだ霊的な現象である可能性が残っているということだ。

というわけで、以降、雨の降る暇な日を狙っては、地下道のシミを見に行くようになった。

そして、とある暇な雨の日のこと。
地下道に向かいシミを見てきた帰り、アパートの自分の部屋に入ろうとすると、隣の部屋の扉が開いて隣人のヨシが顔を覗かせた。

「よー、久しぶり」

そう言えばしばらく顔を見ていなかったのだが、どうやら夏休みを利用して実家に里帰りしていたらしい。
そうして奴は土産と称して酒と加工していない大量の食材を持って突撃してきた。

仕方がないので適当に数品作って出してやり、土産の酒で乾杯する。

ヨシ:「どうせ今日も妙なとこ行ってきたんだろ」

何週間かぶりの訳知り顔でヨシが言った。

ヨシ:「どこ行ってきたんだよ」
俺:「隣の市内のアンダーパス」

ヨシ:「どこよそれ」
俺:「■△インターチェンジ過ぎて、路面電車とぶつかるところ」

ヨシ:「あー、あそこか。どんな噂があんの?」
俺:「いや、噂は無い」

ヨシ:「んー?」

怪訝な顔をする隣人に、人型のシミ発見からこれまでに至る経緯を撮り溜めた写真を見せつつ説明してやる。

ヨシ:「・・・・・・あー、確かに人の形してら」
俺:「水が掛かると浮かんでくるみたいなんだが、乾くと消える」
ヨシ:
俺:「毎回ポーズが微妙に違うのな」
ヨシ:「天然の落書きだとしても、いつも人型なのが気になるな」

するとヨシがデジカメから顔を上げつつ、「あー」とだらけた声を上げた。

ヨシ:「落書きで思い出したわ。そこ、何年か前に大きな事故あったろ」
俺:「みたいだな」

ヨシ:「確かヤンチャ君たちが壁に落書きしてて、トラックに轢かれて死んだんだよ」
俺:「ほう」

ヨシ:「ニュースにもなっててさ、死んだ奴が壁とトラックに挟まれてつぶされたみたいで。自分が壁の落書きになってやがら、って思ったの覚えてるわ」
俺:「ほう」

ヨシ:「あーたぶん、その事故後の掃除で変な洗剤でも使ったんじゃねーの。血ぃ落とすためにさ。コンクリが溶けるような強烈なやつ。それでそこだけ凹んでさ、泥が染み着くようになったんだな、きっと」
俺:「ほう」

たった今、物理的であれ霊的であれ、奴の話で大体の全体像が見えた気がする。

ヨシ:「ってかお前も気をつけろよー。この写真立ち止まって撮ってるだろ。トラックに挟まれて、壁の落書き二号になっても知らねーぞ」
俺:「・・・・・・とりあえず、その場所に関してはひと段落した」

ヨシ:「あ、そうなん?なら安心」

未来の心霊スポットになるかどうかは定かではないが、再検証は、そこでまた新たな噂が生まれてからにしようか。

しかしながら、ヨシもたまには役立つことを言うものだ。

ヨシ:「それにしてもさ、なんかこの写真、連続で見たらパラパラ漫画みたいだよな」

手の中の人型シミ写真集を眺めながらヨシが言った。
デジカメを受け取りヨシの言う通り連続で表示すると、確かに昔ノートの端に書いたパラパラ漫画を髣髴とさせるカクついた動きをしていた。

じっと見つめる。
その動きはまるで、壁の中に閉じ込められた人間が、出してくれと必死に叩いてるような。

ヨシ:「・・・・・・しまった。余計なこと言ったか」

隣でヨシが、ぽつりとこぼした。

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