「クチャクチャ」の音の意味

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

これは父の話になるんだが、終戦後―父は京都教育大学の空手部部長で右翼だったため、学生運動さかんな頃に、時には女、時には酒などで何度も過激派から命を狙われ、銃で撃たれた事もあった。

京都教育大学が学生達に閉鎖されようとした時には、仁王立ちして彼等の侵入を防いだ。
とにかく圧倒的に強く、教育大の寮に住み込んでいた。
ただ戦後は食料が無く、時にはカエルも食っていたそうだ。

当時、ほとんどの日本人が飢えに苦しんでいた。
人々はみるみるやせ細り、食うものに困っていた。

ところで父には一人の友人がおり、その友人は空手をやっておらず、生活も困窮していた。
その頃の京都は街灯なんてなく、千本以上の塔婆が立っている寂れた寺院ばかりだった。

しばらくは右翼と左翼の闘争が続いたが、最終的に空手部が左翼を抑え込んだ。

その頃の京都は直接的被害が少なく、昼でもうっそうと茂る竹林が多かった。

昭和の闇の世界が横行し、韓国人とも仁義無き闘いがあったという。

ところで夜の京都といえば、戦争の坩堝でもあった訳で、あたり一面竹林と土葬した墓があちらこちらに置かれていた。

照明のないある日の夜。
父の友人がある日から、夜になると姿を消すようになった。
その頃、父の友人は大失恋をしてしまったそうだ。
おおかた話を聞いていた父は非常に哀れに思った。

昭和初期って時代だけに、警察に失踪届けを届けられる訳も無いというか、学生運動で混乱しており、それどころではないし、父は父で右翼だけあって、おいそれと届けることは出来なかった。

ところが、どうやら父の友人は無事に大学に登校してきていた。
ただどうした事か顔色が非常に悪く生気がない。
周囲の人間はそれでひどく心配した。

きちんと食べられているだろうか。
失恋のショックから立ち直れていないだろうかって。

そんなある夜、父の友人が午前零時頃、ふらふらと外出するのを見る者が現れた。
こんな夜半に行くあてなんて思いつくはずもない。
周りは竹やぶと、京都に住んでいると分かるだろうが寺ばかりだ。
しかし友人の外出を目撃した者は別段気にする事はなかった。

そんな事より自分達の生活や学生運動のほうが、はるかにやっかいな出来事だったからだ。

貧困と暴力の渦巻く時代だった。
治安なんてまるでなく、人々は貧困のフラストレーションを学生運動にぶつけた。

一日の食事の糧を得るにも事欠く時代で、みな必死で毎日を生きていた。

そんな中、皆が寝静まる頃に友人が、再びひっそりと外出してゆくのが目撃された。
その頃にもなると父の友人は、失恋のショックでまるで生気を失っており、幽霊のようにさえ見えたらしい。

周囲の人間は父の友人を「気がふれたのではないか?」と心配もした。
ただ食糧難の時代に腑に落ちない事があった。

父の友人は生気こそないものの、餓死もせずやせ衰えていく事もなかった。

当時は大学寮で暮らしている学生が多かった。
四畳半のアパートすらないような環境だった。
なので皆が寝静まる頃に、父の友人がこっそりと寮から出てゆく姿をみられる可能性は高かった。

ただ意外にも、父の友人がみんなが寝静まる頃に何処かへ行くのを目撃した者は一人しかいなかった。

実はその目撃者も同じ寮に住んでいる住民であり、それゆえに父との親交も一応ながらはあった。

大学の講義がいつまで経っても再開されない事など、ともかく何でも父の所に相談がいった。
当時は大学教授でさえも授業では熱烈と「今に日本は共産主義国家になる」と熱弁をふるい、講義になどまるでなっていなかった。

友人が皆が寝静まる頃に寮から出てゆく事は、目撃者の胸の中にひっそりとしまわれていた。
理由は、失恋した父の友人に追い討ちをかけたくないという一心もあった。

だがそのうち、父の友人が実は毎晩皆が眠る頃になるとそっと寮から消えてしまう事に気付き始めた。

父の友人が消えるのは、たまたま何かの用事があり消えていたようではなかったらしいと、たった一人の目撃者はこの頃から気付き始め、おかしいと思うようになった。
だいたい戦後の京都といえば、竹やぶとさびれた寺院ぐらいしかない。
今のような娯楽もなければ居酒屋のようなものさえない。
ともかく何かをしに行くようなあてがないのである。

おかしいと思って疑心暗鬼になると、疑念がますますつのっていった。
父の友人が何故皆が寝静まる頃にそっと寮から出てゆくのかと。

そこである夜、とうとう父の友人をつけてみる事にした。
父の友人をつけてみるとは思ったものの、当時は街灯なんてものもない。
うっそうと茂る竹やぶやさびれた寺があるぐらいだ。

父の友人は皆が寝静まる頃、やはり起き出すと、皆が起きないように静かに物音を立てず寮を抜け出し、どんどん竹やぶの中に入ってゆく。
この前に目撃者は、父の友人がこっそりと寮を出てゆく事を本当は誰かに教えておくべきだった。
だが目撃者は、自分では気になっていたものの、人にまで話すような事ではないだろうと判断してしまっていた。

真っ暗な夜闇の中で、朽ち果てた家々を過ぎ、竹やぶを抜けて父の友人はどこかへ歩いてゆく。
目撃者は月光の光だけを頼りにするほかはないが、辛うじて見失う事もなく、また気付かれる事もなかった。

そうして父の友人が朽ち果てた寺まで辿り着くのを確認した。
いいや寺の建物ではない。
墓地にである。

当時一応ながらも火葬はあったが、火葬をする火の燃料など当然にしてなく、木炭すた貴重だった為、たくさんの枯れ木の中に遺体を入れて火葬をしていた。

しかし火力が弱く、ほとんどは今のように綺麗な骨のような状態にはならず、遺体は半焼き状態のままという事がざらだった。

あるいは火葬さえも手間がはぶける作業のために、墓地に遺体を埋める際には何と土葬が用いられていた。

それはそれとしておこう。
果たして父の友人はこんな真夜中に毎晩のように、このようにして墓地に来ていたらしいと目撃者は気付き始めた。
でも一体何の為かが分からず、息を殺して、墓地についた父の友人の動向を大きな墓の後ろに隠れて観察する事にした。

「ズサッズサッズサッズサッズサッズサッ・・・」

何かが聞こえて来るのが分かる。
父の友人は一体何をやっているのだろう。
その音はしばらく続いたが、今度は「くちゃくちゃくちゃくちゃ」という音が聞こえてきた。

何かを食べる音に似ているような気がした。

月明かりの下、目撃者はそっと父の友人に気付かれないように、墓の影から様子を窺った。

しかしそこで目撃者は、これまで自分がおおよそ想像しえないものを見てしまった。
まず「ズサッズサッズサッズサッ・・・」の音の意味が分かった。

それはどうやら墓から土葬された遺体を掘り出す音だったらしい。
そうして実に最悪なものを目の当たりにした。

父の友人は無心で「くちゃくちゃくちゃくちゃ」と音を立て遺体を食べていたのだった。

さすがに目撃者はこれには恐怖を覚えた。
正気の沙汰ではない。
いかに食べ物のない時代とはいえ、遺体を食うとは全く想像だにしていなかった。

恐怖に全身の震えが止まってくれない。

こっそりと気付かれずに今すぐにも逃げ出そうと思うものの、あまりの恐怖に体が金縛りに遭ったままで、ただひたすらに、父の友人が誰もいない深夜の墓地で遺体を貪る光景をしばらくは見るしかなかった。

だがようやくにして全身の震えこそ止まらないものの、金縛りから解き放たれた目撃者は、とにかく気付かれないように逃げようと考え、そろりと後ろに足を踏み出した。

しかし目撃者は緊張と恐怖のあまり、隠れていた墓石においてある椀を思わずひっくり返してしまった。

「ちゃりん」という音がした。

生気のない父の友人の顔が月夜の光の下、遺体を食ったために血まみれになっているのが見えた。
そうして父の友人と目があってしまった。

目撃者はそれからは生きた心地がしなかった。
後はただひざを震わせて全力で逃げた。
とはいっても、どこに逃げればいいのか頭が混乱して思いつかない。
しかも後ろからものすごい声をあげて父の友人が追いかけてくる。

目撃者はもつれそうになる足で必死で逃げたが、やがて何とか墓地を出て竹やぶの道に入ったが、そこは墓地よりも暗い。
それでも目撃者はただひたすらに逃げる事しか出来なかった。

何かを考える余裕などない。
後ろからは父の友達が大声を上げて迫って来るのが分かる。

どれくらい走ったのかは分からない。
どれくらい時間が過ぎたのかも分からない。
だが目撃者は辛うじて竹やぶを出た。
とはいえ皆が寝静まっている時間だし、京都の町はいずれも古く朽ち果てており、逃げ込める場所はない。

ここで目撃者はようやく唯一助かるであろう場所を思い出した。

父の眠っている京都教育大学にある空手部の寮だ。
しかし京都教育大学といっても、今のように開けた土地ではない。
ただ月光だけを頼りにして目撃者は逃げ続けるが、父の友人は未だに大声を上げて追いかけてくる。

恐怖のあまりに、息が切れるだとか疲れてきたというような感覚などとうに何処かへいっていた。

やがて京都教育大学の寮が見えてきた。
普通ならここまで来れば助かるという気持ちになるが、父の友人はまだすさまじい声をあげて追いかけてくる。
仕方がないので、目撃者は息を切らして京都教育大学空手部の寮を叩いて大声で父の名を呼んだ。

「こんな時間に何事だろう」と空手部員がぞろぞろと寮から出てきた。
この時目撃者はようやく助かった事を確信した。
ふと振り返ると父の友人はもういなかった。

深夜ではあったが、とうとう空手部主将の父が起きて来た。
目撃者の心臓はすさまじく早く、恐怖に言葉もなかったが、父の友人がもういなくなった事と父が出てきた事で、いくらか落ち着きを取り戻した。

「何があったんだ?」と空手部員達から聞かれた。
当然にして父からもである。
目撃者はしばし躊躇ったがもう黙っているわけにもいかず、父に洗いざらい見てきた事を話した。

かりにも父の友人である。
父は悲しそうな顔をした。

失恋をしてから様子がおかしいとは気付いていたが、毎晩皆の目を盗んでまさか遺体を食べていたとは想像さえしていなかった。

だが食糧難の時代である。
父もカエルを捕まえては飢えをしのいでいただけに分からないわけではなかった。

目撃者はとにかくその夜、京都教育大学空手部の寮に泊まることにした。

疲労のせいだろうか。
そこから先はあまり覚えていないらしいが眠ることはできたようだ。

その後、父の友人はこつぜんと姿を消してしまった。
大学はおろか寮にも戻ってくる事はなかった。
一週間経っても、一ヶ月経っても父の友人の行方は分からなかった。
行方不明者として捜索される事にまでなったが、一向に行方が分からなかった。

父は悲しそうに言った。

父:「友人は失恋してあまりのショックに頭がおかしくなってしまった。可哀想な話だ」

食糧事情を考えれば、死体を食べる事すらも当時の人々の間ではありえるような選択肢の一つだった。
それぐらいに貧しく食料のない時代だったからだ。

こうして父の友人は失恋で死体を食べるまでに気が狂ってしまい、何もかも悲しい話として終わるはずだった。

父の友人が死体を食べた事が露見して、父の友人は完全に行方不明者となり半年が過ぎた頃、大学での学生デモやストなども沈静化しはじめていた。

大学では年末の大掃除が行われる事になり、体育会系の部員達は大学紛争で荒れ果てた大学の清掃に努めた。

あちこちと朽ち果てていた場所もあったが、バリケードも除去され、ようやく大学は機能しはじめるようになった。

大学の大掃除という事で隅々まで掃除がなされた。
そうしてある部員が体育館の天井裏を掃除していると、小さな毛布にくるまった何かが薄暗い天井裏にあるのを見つけた。

果たして何であろうかと近づいたら、嫌な匂いがしたものの、掃除なので見過ごす訳にはいかない。

何だろうと思って毛布を捲ると、体育会系の部員は驚愕した。

見つけたのは人間のミイラだった。

死後どれくらい経っているかは分からないが、乾燥した体育館の天井裏だった為に腐らずにミイラ化したらしい。

やがて身元調査が行われたが、遺体は父の友人である事が確認された。
失恋をして自暴自棄になり精神を病み、また空腹にたえかねては、毎晩一人で墓地にゆき遺体を食べていた事が露見した父の友人は、行くあてを失い、京都教育大学の体育館の屋根裏に隠れ続けているうちに、絶命してミイラと成り果ててしまったのであった。

父の友人の名はその後、故人の名誉やら失恋で精神を病んでしまった事や飢餓状態にあった環境を配慮され、公表される事は一切なかった。

だが父は時々その故人の名を口にしては、「◯◯さんは失恋をして気がふれてしまった。本当に可哀想だ」と今でも悲しんでいる。

以上、あまり恐い話ではなかったかも知れませんが、京都教育大学空手部主将だった私の父が語ってくれた本当の話でした。

長文・拙文失礼しました。
そしてここに記した内容につきましては、決して架空の話ではなく、実際にあった話であります。

信じていただけるかは分かりませんがこの辺で筆を休めさせていただきます。

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