レディ・ビー・グッド号事件。
1943年4月、イタリア・ナポリへ爆撃任務に向かったレディ・ビー・グッドと言う名の米軍爆撃機が、駐屯地であるスルーク飛行場(現在のリビアにある)に帰還しなかった。
地中海に墜落したと推定され、捜索救助のために隊が派遣されたが、爆撃機は発見できずに終わり、9名の搭乗員は戦闘中行方不明者として処理された。
15年後の1958年、スルーク南東の砂漠の上空を飛行していたイギリスの調査隊が偶然に、墜落した航空機の機体を発見した。
その機体が、レディ・ビー・グッド号だった。
機体の状態は良好で、食料や水も残っており、通信機や機銃といった機材も作動できる状態だった。
周囲に遺体はなく、パラシュートもなかったことから、搭乗員は墜落前に脱出したものと見られた。
その後の捜索で見つかった遺体と手記などによると、レディ・ビー・グッド号の搭乗員たちは、方向探知機が作動しなかったため、夜間の航行中に海面と砂漠を見誤り、スルーク飛行場を行き過ぎて砂漠へ至ってしまった。
やがて燃料が尽き、搭乗員たちは機体を放棄してパラシュートで離脱した。
レディ・ビー・グッド号は無人のままさらに南下し、30kmほど先で墜落した。
そして搭乗員たちは、パラシュートの不具合で墜落死した1名を除く8名で北上を開始した。
彼らが地中海沿岸に近い位置にいると思い込んでいたための行動だったが、実際には600km以上も内陸に入り込んでいた。
しかし彼らはそれを知らず、たったひとつの水筒を分け合ってひたすらに北を目指し、灼熱の砂漠を8日間かけて160kmも歩き続けて力尽きて死んでいった。
手記には「水は一日にほんの数滴」「眠ることが出来ない」「祈り続けている」「助けがなければもうどうにもならない」などの悲痛な記述がされている。
この件でもっとも悲惨なのは、もし彼らが南を目指し、自分たちの放棄したレディ・ビー・グッド号を見つけていれば、食料と水があり、通信機によって救援を求めることができたということ。
そこからさらに南へ、彼らが北上しただけの距離を歩けば、オアシスにたどり着ける可能性さえあった。
しかし、彼らには自分たちの正確な位置も機体がほぼ無傷であったことも、オアシスのことも知るすべがなかった。
搭乗員のうち、1名の遺体はいまだに見つかっていない。