母が死んだ理由

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

自分は、母親を殺したようです。
たぶん小学校に上がる前の5歳くらいの時のこと。

江ノ島に家族と母親の友人家族と海水浴の帰りにおみやげ屋さんで買い物をしました。
僕は、確かハリセンボンの剥製(はくせい)か何かを欲しがったのですが、それは高くて買ってもらえなく、タツノオトシゴのキーホルダーしか買ってもらえませんでした。

その場は我慢したのですが、車に乗り込む時になって、猛烈に悔しくなり、だだをこねました。
母親は、何も言わず、泣きわめく僕を見ています・・・ただ少し悲しそうな顔をして。
全然言うことを聞いてくれない母に、僕はさらに癇癪をエスカレートさせました。

次の瞬間、僕は母親を思い切り突き飛ばしました。
子どもとはいえ、5歳の男の子の力です。
母親はバランスを崩し、後ろへ倒れてゆきました。
表情は、あの少し悲しそうな顔のまま、僕を見つめていました。

母は、江ノ島の断崖に設けられた手すりの欄干に腰掛けていたのです。
実際にはそれほどの高さはなかったのかもしれません。
しかし、子どもにとっては目がくらむほどの高さでした。
そして、母が落下して、頭を打って死ぬには十分な高さでした。

今、僕は32歳です。
彼女との同棲を解消して、実家に戻りました。

物置になってしまっていた自分の部屋を片付けていたら偶然出てきたタツノオトシゴのキーホルダー。
今まで数十年、見たことのなかったそれを眺めるうち、この記憶が異様に鮮明によみがえりました。

母が死んだことは覚えていますが、死因は交通事故だと思っていました。
友達にもそう言ってきました。

事故のことを家族で何度も話したこともあります。
でも、よみがえってきた記憶があまりにも鮮明で、今までの事故の記憶が日に日に嘘くさいものに思えてきています。

このことを、父に話す前に、とりあえず自分のことを知らない誰かに話してみようと思い、この話を書きました。
本当に、この記憶は事実なのでしょうか。
もし、本当だったら、母は、僕を許してくれているのでしょうか。

父はもう寝てしまったようです。
ノートパソコンの横に、あのときのキーホルダーが何も言わずに置いてあります。

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