日本の危機意識の無さ

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

怖い話かと言われればそうじゃないけど。
ウチの姉貴の高校の部活の顧問(以下S氏)の体験談。

「悪魔の詩」を知ってるかい?
本が好きな人なら普通に知ってると思うが、一応かなりテキトーでいい加減に説明しとく。

この「悪魔の詩」はサルマン・ラシュディと言うイギリス人(正確にはイギリス籍を持つバングラディシュ生まれのムスリム)により書かれた小説である。

この小説にはムハンマドの妻の名前を持った売春婦が登場したり、その他にもイスラムを冒涜するような登場人物の名前、内容などにより、出版前からイスラム教徒達やパキスタン等から抗議を受けていた。

出版されると、その内容に激怒したホメイニ師は著者のサルマンを死刑にすべきと発言し、イラン国内の様々な勢力もサルマン暗殺の犯行声明を発表し、当時の大統領も賛成した。

これを受けてイギリスは著者サルマンを守る為に政府施設に隠匿する事となった。
その後、世界各地で15ヶ国語で翻訳出版される事になるが、ある時のイスラム神学者達との会談でサルマンは「これ以降は翻訳版の出版はしない」「ペーパーバック版の発行を断念する」等、諸々の誓約をした為、騒動は一応の決着となった。

しかし、ホメイニ師の死後も「この小説に関わった(著作・翻訳)者達の死刑」は撤回されてはいなかった。

・・・これが、簡単な流れ。
かなりテキトーだから、詳しく知りたい人は調べてね。

で、こっからが本題。
S氏の体験談。

S氏の恩師は五十嵐一。
この「悪魔の詩」の日本語翻訳に携わった人物である。
ある日、S氏が所用で筑波大学に出向き、そのついでに恩師の五十嵐氏に挨拶に行った。
他愛もない世間話をして、S氏が大学を後にしようとした時、二人のアラブ人とすれ違った。
五十嵐氏はイスラム文化研究者だったし、その時は大して気にも留めなかったそうだ。

帰りかけた時、ふと用事を思い出し、五十嵐氏の研究室に戻ったS氏は五十嵐氏の遺体の第一発見者となる。

新聞などでは「刺殺」とされているが、遺体は頸動脈を深く切り裂かれた物だったらしい。
後から聞いた話では、その殺害の手口はジャンピーア(イスラムの伝統的な半月状の刃を持ったナイフ)の刃に毒物を塗って首を掻き切るという、イスラムの伝統的な暗殺方法だったそうだ。

いずれにせよ、目撃者もなく、遺体を第一発見者という事で最初はS氏が疑われ、警察もS氏を犯人と決め付ける形で捜査をしていたが、前述の騒動や殺害方法からS氏への疑いは晴れた。
結局、犯人は捕まらず既に時効も過ぎている。

S氏は「少しでも出るのが遅かったり、戻るのが早かったら俺も死んでたなぁ」等と苦笑いしながら語ったそうだ。

しかし、今も昔も日本の危機意識の無さは凄いね。
こんなモン翻訳出版するのに、その翻訳者に護衛もつけないなんてさ。

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