死んでも死にきれなかった・・・

カテゴリー「怨念・呪い」

子どもの頃ひい爺さんから聞いた話を書きます。

ひい爺さん(以下爺さん)は明治の早い時期の生まれで、しかも山村で育ったため、いろいろと奇妙な風習を知っていて、自分が子どもの頃によく話してくれました。

爺さんの村では送り番という役回りがあり、これは三軒ひと組で回り番で当たる遺体の埋め役のことだそうです。
当時爺さんの村はまだ土葬で、寺で葬式を行った後に遺体の入った棺桶を荷車に載せて村はずれにある墓域まで運ぶのです。
村の顔役や男手のない家では代わりを頼むこともできましたが、葬式では酒も振るまわれ些少の礼金も出たそうです。

ただ遺体は棺桶(これは四角い棺ではなく丸い大きな桶)ごと埋めると場所と手間、費用もかかるので、4~5尺ほどの穴を掘って、死装束の遺体をそのまま埋めるのだということでした。

そんなある日、村で人死にがあり、これは当時では珍しく自殺だったそうです。
五十ばかりの百姓が土地争いの裁判で負けて先祖代々の耕作地をすべて失ったのを苦にしてのことでした。
そして爺さんと組んでいた埋め役の一人が訴訟の相手だったのです。
これは具合の悪いことでした。
遺族もその人にやってほしくはなかっただろうと思うのですが、その人は、葬式には出ないが村のしきたりの埋め役はやるといって頑としてきかず、これは後で考えると村内で弱みを見せたくない
という虚勢や打算があったのではないかと爺さんは言っていました。

葬儀では棺の中に古銭を入れたりなど各地でさまざまな風習があるものですが、爺さんの村では遺体の口の中に鬼灯(ほおずき)を入れるということをしていました。
表向きは死出の旅の慰めにということになっていましたが、本当は死人が口を利いたりしないよう封じるためだったろうとのことです。

葬式が終わって、寺の外で待っていた訴訟相手の人ともう一人の人と三人で荷車に棺桶や鍬などの道具をのせ、街灯もない街の灯りもない月もない夜道を、くくりつけた提灯の明かりだけを頼りに出かけていったそうです。

墓所までは三十分ばかり、さらに小一時間ほど穴を掘って遺体を桶から出して穴に下ろします。
丁寧にやっていたつもりでしたが、底まで一尺ばかりのところで誰かの手が滑ったのか遺体を頭から穴に落としてしまいました。
するとポンと音を立てて口から鬼灯が飛び出しました。

もう後は土をかけるだけでしたので、鬼灯はそのままにして腹から土をのせていきました。
さすがに顔に土をかけるのはためらわれるので、一番最後になることが多いのだそうです。
爺さんはこれでもう終わったようなものとやや気を緩めていたところ、急に月が雲間から出て穴の底まで射し込み、死人の顔を照らし出しました。

すると死人はかっと目を見開き、目だけを動かして辺りをねめ回しておりましたが、訴訟相手の人を見つけるとその顔を見据えて、吠えるような大声で「お前が送り番か、悔しい」と叫んだのです。
もちろん三人は鍬も何もかも放り出して一目散にその場を逃げ出しました。

葬式を行った寺に駆け込んで一部始終を住職に話しましたが、住職も怖じ気づいたのか確かめるのは日が昇ってからということになり爺さん達は寺の一間を借りて過ごし、住職は朝まで経をあげていたそうです。

翌朝になりますと訴訟相手の人の姿が見えなくなっていました。
無理をいって隣町から医者を呼び一同で墓所に出向いてみると、野犬などに荒らされることもなく遺体は穴の中で顔だけ出した昨晩のままでした。
もちろん掘り返して医者が確認しましたが、亡くなってからずいぶんと時間が経過しており生き返った様子もないとのこと。
ただ「当時の医学だからどれだけ信用がおけるかわからんよ」、と爺さんは笑って話してくれました。

遺体の目は昨晩最後に見たままにかっと見開かれた状態で、閉じさせるのが大変だったそうです。

もう一度日中に埋葬が行われ、今度こそ何事もなく執り終えました。
訴訟相手の人は半年ほど行方がわからなかったのですが、猟師が山中で首を吊っているのを見つけました。
そうして死体を下ろしたときに口からぽんと鬼灯が飛び出たのだそうです。

爺さんは作り話で子供を怖がらせるような人ではなかったと思っていますが、この話に関しては半信半疑というところです。
もうずいぶん前のことになりますので、記憶違いなどがあるかもしれません。

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