人間を復元することに成功した

カテゴリー「怨念・呪い」

歴史の教科書でもお馴染みの西行は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて僧侶・歌人として活躍しました。

彼の逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』がありますが、その中で鬼の法を真似て反魂法を使って「人」を作るという話がありますので、ご紹介します。

『西行於高野奥造人事』

高野山での修行生活中、人恋しくなった西行は、鬼が人骨を集め人間を造るという話を聞いたことがあったので、自分もやってみようと思った。
西行はさっそく山を下り、人骨を集めた。

彼は見事人間を復元することに成功したが、術が未熟であったためか、出来たモノは顔色も悪いし、意味不明のことを言うだけで、とても話し相手になどにはならなかった。
彼はそれを高野山の奥に捨て置くと、かつての主人であり術の師匠を訪ねた。

しかし彼は不在であったため、その術で有名な伏見中納言源師仲を訪ねた。
西行は自分の行った術を説明した。

西行:「広野に出て、人も見ぬ所にて、死人の骨をとり集めて、頭より足手の骨をたがへでつゞけ置きて、砒霜と云薬を骨に塗り、いちごとはこべとの葉を揉みあはせて後、藤もしは糸なんどにて骨をかゝげて、水にてたびたび洗ひ侍りて頭とて髪の生ゆべき所には、さいかいの葉とむくげの葉を灰に焼きてつけ侍り。」

西行:「土のうへに畳をしきて、かの骨を伏せて、おもく風もすかぬやうにしたゝめて、二七日置いて後、その所に行きて、沈と香とを焚きて、反魂の秘術を行ひ侍り」

中納言は首を振り、その術の不完全さを指摘した。

中納言:「間違いは香を焚いたことだ、香は邪気を退け、仏の来迎を仰ぐものであるから、香ではなく乳を焚き、また術の前には七日間の断食が不可欠である。そうすればうまくいく。私は何体もの人間を造った。その中には大臣になっている者もいるが名は明かせない」

秘術のツボを教わった西行だが、二度と人間を造ろうとは思わず、それからは仏道を極めることに精進したそうです。

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