うちの地域では俺の母親が子供の頃あたりまで、男の子でも女の子でも3~4歳くらいになると必ずあやとりを覚えさせられた。
技は一種類だけで「蛾」と呼ばれるもの。
これはけっこう複雑な取りかたをするが、素早くできるようになるまで何度もくり返し練習させられたそうだ。
今は産業としては成り立たなくなっているが、ここいらは昔は養蚕が盛んで、集落の裏の山(四百mほど)の中ほどに「蚕霊塔」と呼ばれる供養塔がある。
こういう供養塔は明治以降、製紙工場の近くに作られたのが多いが、裏山のはかなり古い時代のものらしい。
この山一帯には「ヨシユキ様」という妖異が棲んでいて、それは大きなカイコガの姿をしているという。
ただし普通の人間の目には見えない。
この山に子どもが入るときには必ず一本の紐を持たせられる。
母親の場合は白い毛糸の紐で、わざと切れやすいように傷がつけてある。
なぜそんなことをするかと言えば、山中では「ヨシユキ様」に祟られることがある。
背中に重しがのったようになってかたわらの藪に突っ伏してしまうことがあったら、それは「ヨシユキ様」が後ろにのっているせいだという。
こうなるともう声も立てられない。
バサバサという羽ばたきの音が聞こえてきて・・・だんだんと気が遠くなっていく。
そうなったら意識があるうちに素早くあやを取って蛾をつくる。
その形のまま力を込めてプツンと紐を切ると「ヨシユキ様」は離れていくらしい。
子どもだけの場合は、これ以外に逃れる方法はなく、寒い季節だと藪の中で発見されずに死んでしまう例もあったという。
この「ヨシユキ様」というのは、郷土史などでは南北朝の頃の南朝の皇子で戦乱の際に自害した悲運の皇族と書かれている。
それが妖異となって山中を彷徨っているということらしいが、その方がなぜカイコガの姿とされているのかはよくわかっていない。
おそらく歴史の中で埋もれた話があるのだと思われる。