よく冷えた冷酒を二合程飲んで俺は、次の料理に目をやった。
「もみじおろしを乗せてポン酢をかけた白子の湯引き」
おれの好物である。
この店の板前は俺の学生時代からの友人で、料理の腕前は確かである。
この男の招きで今日の晩飯は、彼の経営する割烹料理屋でとあいなった。
何か相談事でも有るのかと思って来てみたが、特に何を話すでもない。
俺:「今日は奥さんは?」
いつも店を一緒に切り盛りしている奥方の姿が今日は見えない。
「あぁ、今日はちょっと・・・」
口ごもるような感じで歯切れが悪い。
先月来た時は、奥方が御懐妊と言う事をこの男から聞いて、俺と一緒に乾杯したものだが・・・。
俺:「ん、この白子は変わった味がするな」
「気づいてくれたか?ちょっと手に入らない特別な材料を使ってみたんだ。お前、それ、好きだろう。それを食わせてやろうと思って今日は呼んだんだよ」
こいつは、昔っから黙って何か世話を焼いたり親切をしてやるタイプなのだ。
決して恩着せがましく言ったりしない。
だから付き合いが続いているのだと思う。
この男の奥方とも俺は良く知った仲である。
この夫婦は、傍から見ると非常に仲が良く見える。
妻と折り合いが悪くてむしゃくしゃして誰かと話したかったのだろう。
それが証拠に、この白子はあまりうまくなかった。
その夜俺は、自宅であるアパートに帰ってウイスキーのボトルを半分ぐらいラッパ飲みであおって、早々に寝床に潜り込んだ。
誰構う事無い一人暮らしは気楽でいい。
家族なんか抱え込む奴はバカだ。
嫁さんの機嫌を伺ったり、夫婦喧嘩の憂さ晴らしに他人を巻き込むなんてまっぴらだよ。
などと考えながら俺は、眠りに落ちた。
・・・すると、妙にリアルな夢を見て・・・奴(友人)が怒鳴っている。
友人:「それは俺の子供じゃないのか?なんでなんだ?」
友人:「俺より奴の事を愛しているんだろ?お前の裏切りは許さない!」
俺は夢の中で奴に謝り続け、そして恐怖した。
やがて、奴は、いつもカウンターの中で器用に使っている包丁で俺に斬りかかって来た。
俺は、夢の中で気絶する。
そして、また夢の中で今度は激痛によって目を覚ます。
俺の肩口で、ノコギリが音を立てて何かを切り離した。
俺の腕である。
そこで俺は、また夢の中で気を失った。
翌朝、俺は、目を覚まして五体満足なのを確認した。
俺:「大丈夫だ・・・」
まだ全身がなんとなく痛む・・・変な夢を見た。
奴の奥方と俺は、確かに、まぁ、”そう言う関係”だ。
その罪悪感からあんな夢を見たんだろうか?
俺は、どっちかと言うと嫌な奴で他人の痛みなんて屁とも思わない方だ。
寝床から起き上がって、リタリンと言う抗鬱剤をウイスキーで所定量以上流し込む。
俺は、元々躁うつ病の気が有るのだ。
シャワーを浴びて今日の現場に出動だ。
俺の仕事は、色んな業界の著名人からインタビューを取って、業界紙に記事を書く事なのだ。
今日の現場は、某農業大学の研究室だ。
そこの教授に有り難いお話を聞いて記事をでっちあげる。
研究室に着くと助手の学生が教授の所に案内してくれると言う。
大学の一角はさすがに農大だけあって、きれいに手入れされた畑になっている。
「あそこです」
鶴のようにやせた白髪の老人が、地面に鍬を振り下ろしていた。
挨拶もそこそこに、今日のテーマは「医食同源」と言う事で話し始めた。
俺:「よく俗説で、自分の具合の悪い部分の肉を食べればいいって言うでしょ?」
教授:「ほぅ、」
俺:「例えば目が悪い人は、鯛や鮪の眼肉を食えとか」
教授:「有りますね。リュウマチで手が上がらない人に熊の手とかね」
俺:「あれは効果が有るんでしょうか?」
教授:「有るのも有れば、無いのも有ります」
俺:「けど、同じ哺乳類なら、大体同じ成分で臓器が作られてるだろうから、体を構成する要素を多くとると言う点では、理にかなってそうですが」
教授:「まぁ、単純にはね。そうなんだけど、例えば髪の毛を食べれば髪が濃くなるなんて事は無い訳で」
俺:「そうですね。」
教授:「しかし、外国の例で言うと興味深い事実が有るんですよ」
俺:「へぇ、どんな事が有ったんですか?」
教授:「南洋の人食い土人の話では、人間の脳みそを食べると賢くなるって言うんです。他所の部族の兵士を殺してその脳みそを食べると相手の作戦が読めるようになる・・・こう言うんですね。その他にはアメリカで連続殺人鬼がやはり、殺した女性を調理して食べておったと。」
教授:「そうすると自分が殺される妄想を抱くようになった。殺せば殺すほど殺される恐怖を味あうわけですな。これから考えると共食いの場合は細胞レベルでの消化が出来ずに、神経細胞や脳内物質が消化器官から本来の持ち場へ帰って元の場所でやっていた様に働いてしまう。記憶ごと運ばれてしまう・・・。」
教授:「どうされました?」
俺は、涙が溢れて止まらなくなっていた。