私が中学生だったときの話。
うちはいわゆる見える人が多い家系で、父方の祖母や父、妹などは普段から不思議なものをたくさん見ていたようです。
しかし私と母はまったくの零感で、そういったものを見たことはほとんどありません。
そんな私ですが、一度だけ怖い体験をしたことがありました。
当時、かなり田舎に住んでいた私は、中学校まで自転車で30分以上かけて通っていました。
その日も部活動を終えた私は、夕暮れの赤茶けた光の中を自転車で走っていました。
信号待ちで自転車を止めたときのことです。
ふと後ろを振り向いた私の視界に奇妙なものが映りました。
黒い・・・ボール・・・?
それは真っ黒な、輪郭のはっきりしないバレーボールのように見えました。
でもそれが、まるで生きているかのようにころころとこちらに転がってきます。
田舎の夕暮れのこととて、周囲には人影どころか田んぼがあるばかり。
それなのに、まるで勢いよく放ったかのようにその黒いボールがこちらに近づいてくるのです。
なに?・・・怖い!
ゾッとしました。
背筋があわ立つとはあのような感覚を言うのだと思います。
普通ではないと思いました。
とっさに信号を無視して、私は全力で自転車をこぎ始めていました。
あれに追いつかれたらよくないことが起こるような気がしたのです。
後ろを振り向くと、あのボールがすごい勢いで近づいてきています。
無我夢中で自転車をこぎました。
スカートが翻るのも無視して力いっぱい立ちこぎしました。
カーブを曲がり、小さな坂を上り、細い小道を目いっぱいのスピードでこぎました。
それでも黒いボールは離れません。
当時、吹奏楽部だった私はそれなりに体力はありましたが、まるで肺が焼け付くようでした。
やがて大きな下り坂にさしかかりました。
普段なら足をゆるめてスピードを落とすのですが、そんな余裕はありません。
まだ黒いボールはついてきていたからです。
全速力で坂を下ります。
その坂の途中で、はじめて人とすれ違いました。
農家の方と思われるおじさんでしたが、切羽詰っていた私はものすごいスピードで通り過ぎていました。
すぐに下り坂はカーブにさしかかり、スピードを落とさなければ曲がりきれない、と思ったときです。
「あっ」と、後ろから驚いたような声が聞こえてきました。
スピードをゆるめ、後ろを見ると、先ほどのおじさんがすとんとしりもちをついていました。
なんだかバツが悪そうにきょろきょろしながら、立ち上がろうとするところでした。
黒いボールはもう、いなくなっていました。
え・・・おじさんが、転んだだけなの?
なんだか自分がバカみたいな気持ちになったのを覚えています。
あまりに拍子抜けだったせいか、その日のことは変なことがあったと日記に書いただけで誰にも話しませんでした。
それから数年して高校に上がったころのことです。
なにかの拍子でふと、この話を笑い話としてひとつ下の妹に話しました。
すると妹は、「知ってる、それ。踏むと転ぶんだよね」と、ごく当たり前のことのように言うではありませんか。
私はそうそうと頷きながら、なんだか可笑しいよね、と同意を求めたのですが、妹は「それ、追いつかれなくてよかったね」と怖い顔で言うのです。
どういうことと聞き返すと、妹は言いました。
妹:「そこの角で自動車の事故があったときにさ、見たことある」
そう言われて、ようやくあのときの自転車のスピードで転んでいたら大惨事だったことに思い至りました。
私が今更ながらに衝撃を受けていると、続けて妹は言ったのです。
妹:「お姉には黒いボールに見えてたかもしれないけど、あれって首だし、人の」