海での漁において、白骨化した髑髏(どくろ)や海に落ちた船員が魚網に掛かることがごく稀にある。
不浄物の引き上げということで船としてはあまり縁起の良い話ではないが、船頭にとっては誉れな事と言える。
海難者の霊は船頭の人徳を頼って網に掛かって来たという解釈がされるからだ。
冷たく暗い海の底は安らげる場所では無く、海難者の魂は陸に上がりたいと願っている。
しかし、長らく海に縛りつけられていた魂はそう簡単には離れられない。
当たり前のような話ではあるが海難者の遺体は陸に引き揚げてくれる誰かが居て、初めて海から離れられる。
深く広大な海では人の目が及ぶ範囲は非常に限られているため、沖に流された遺体が発見される唯一と言っていい機会は漁船の網に掛かることである。
長らく水中に沈んでいた海難者の髑髏や遺体は、広大な海の規模から見たら猫の額にも満たない漁網に掛かることなど奇跡に等しい。
奇跡のような確率でも起こる人の元には起こるようで、人生で2度以上、網に掛かった髑髏を引き揚げた船頭も居るという。
まさに奇跡的な確立ではあるが実際に起こっていることを考えると、海難者は船頭の人徳に縋って網に掛かって来ると思わざるを得ない。
実際に海難者が網に掛かったある漁船では、知り合いの船の乗組員を引き揚げた。
船底一枚地獄という言葉の通り、漁は常に死と隣り合わせである。
引き揚げられたのは夜の海に誤って転落して、数カ月の間行方不明になっていた男であった。
身元が割れたのは仏さんが所持していた免許証からで、転落時に着込んでいた作業用合羽のポケットに財布が入っていたのであった。
仏さんはむき出しの顔や頭は生き物に食われて骸骨になっていたのだが、合羽に包まれた体の部分はしっかり肉が残ったままの姿であった。
引き揚げ時の漁法は底引きではなかったことから、仏さんは海底に沈んでいたという訳ではないらしく、合羽と肉の浮力の助けで海中を浮き沈みしながら漂っていたと見られている。
海にはエビス道と呼ばれる不思議な海流があって、海で亡くなった方はその海流に引き寄せられて運ばれると云われる。
引き揚げられた仏さんが運が良かったのは合羽を着ていたことで、着衣が脱げて白骨化すると海底に沈んでエビス道には乗れず、漁網には掛からなかっただろう。