みなさんにとって洒落にならないかどうかわかりませんが、個人的にはかなり洒落にならない話だったんで・・・。
かなり長文な上おばけどうこうの話でもなく、慣れない長文で読みにくいかもしれないので、面倒な方スルーでお願いします。
両親が忙しい人で私は頻繁に近所の叔父叔母夫婦の家に預けられていました。
二人はとても私を可愛がってくれて、とくに叔父は私を実の娘以上に大切にしてくれていました。
私が反抗期で荒れた時に叔父は暴力的になる私を叱らず「嫌な事があったり辛いことがあったならそれを全部おじちゃんにぶつけなさい、但し絶対他の人に当たってはいけないよ」と言ってくれました。
それ以降私が荒れる事も減っていったのですが・・・。
私が中学卒業後間もなく叔父に些細な変化が起きたのです。
その日帰ってきた叔父は私に「おじちゃんちょっとレベルアップしたんだ、会社で今よりちょっとだけ偉くなったんだよ」と教えてくれました。
でもその日以降帰りが遅い日が少し増え、その度に怪我をして帰って来ることが度々あったのです。
怪我について尋ねても「仕事の内容が少しだけ変わったから」と言われ私も叔母もひどく心配しました。
最初は軽い擦り傷やちょっとした痣だけだったのですが、そのうちに大きくて真っ青な痣やかなりの範囲に渡るミミズ腫れ、タバコの火を押し付けられたような跡まで作って帰ってくるようになったのです。
怪我ができるのはいずれも仕事中はYシャツに隠れる場所です。
さすがに黙ってはいられなくなり、叔父と叔母は怪我の事でかなり揉めました。
それでも頑なに口を閉ざす叔父。
この頃私が高校に上がった事もあり、叔父夫婦の家に預けられる事もなくなりましたが、叔父夫婦の家にはたまに遊びにいきました。
しかし二人は次第に顔を合わせる度に怪我の事で喧嘩するようになり、数ヶ月と立たないうちに離婚してしまいました。
叔母は実家へ帰り、叔父は一人で家に住むことに。
両親にはそれ以来叔父にはあまり近づくなと言うようになりました。
それでも叔父が心配だった私は塾や部活がない週末に両親の目を盗んでは叔父の様子を見にいきました。
叔父はいつ会いに行っても元気に温かく迎えてくれましたが、いつも体中を傷だらけにしていました。
話は変わりますが、叔父と叔母の離婚から4年が経ち、私は今実家のある町のすぐ隣町で一人暮らしをしています。
私にはいつも一緒にいる親しい3人の友人が居ます。
今日はみんなバイトが休みだったり夜からだったりしので、カラオケでも行こうか?と約束していましたが、待ち合わせ場所に行くと友人のうちの一人が見かけない女の子をつれて来ました。
その女の子は友人の幼なじみで久しぶりに再会したので一緒に連れてきたそうです。(※以降この友人の幼なじみをAさん、Aさんを連れてきた友人がBとさせて頂きます)
お金持ちの所のお嬢さんなのかブランド物で身を固めたような感じで、少し派手目ですが女の私からみてもはっとするような美人で、明るく表情豊かで私を含む全員ともすぐに仲良くなりました。
フリータイムで夕方までたっぷりカラオケを楽しみ、「さぁ会計してどっかご飯食べに行こうか」とカウンターへ。
ところが店員の方が「お代は頂いております」と言います。
どうやらAさんが先に会計を済ませたようでした。
その後食事をとりにファミレスにいきましたが、Aさんはカラオケ同様トイレに行くついでに私達の分まで支払いをしてしまい。
トイレから戻ってくる時には「みんなの分も払ってきたから」と言ってきました。
さすがにここまで来ると申し訳ない気持ちが先立ちます。
しかしAさんは「私には金のなる木があるからこれくらい大丈夫大丈夫」と言いました。
私達四人が「金のなる木?」と顔を見合わせるとAさんは待ってましたとばかりに携帯を開き写真や動画をいくつか私達に見せてきました。
私達四人は唖然としました。
その写真や動画はいずれも中年男性が暴行を受けたあとの様な写真で、汚いトイレで全裸で縛られているもの、何が書いてあるかは読めませんが胸板に切り傷で文字らしきものがかかれているもの。
全身痣だらけで口と鼻から血をたらすもの、いくつもの安全ピンがささり男性器から血を流しているものなど・・・。
しかしどの写真の中年男性も恍惚としたようなどこか嬉しそうな表情を浮かべて写真に写っています。
硬直する私達に一通り見せ終わった後Aさんがいいました。
Aさん:「こいつら超馬鹿なの。1時間2時間ボコッてやれば三万四万円と金くれるし、月に何回もやらせてくれるんだ。ストレス発散もできて金も入るし一石二鳥だし、こんなやつ何人もいるから面白いくらい金入ってくるし。困ってるならみんなもやんなよ。」
私達はその場でAさんと別れ店を出ましたA
Bは「変なやつ連れてきてごめん」と謝ってくれましたA
みんなそれぞれショックを受けていましたが、多分四人の中で一番ショックを受けたのは私だったと思います。
ここまで書けば大半の方は気がついていると思いますが、暴行を受け恍惚とした表情で写る男性達の写真のうち何枚かは私の叔父を写したものだったからですA。