このお話は投稿ネーム『ネーハイシーザー』様から投稿されたお話です。
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【不思議系】 《長く生きていれば、こんな事もあるんだなぁ!》
これは、死んだ爺さんから聞いた話です。
時代は昭和44年頃だと言っていました。
ある夏の日の昼、爺さん(当時67歳)は自転車に乗って、町で開催されている祭の「夜店」を見に行きました。
祭の「夜店」というのは「町のメインストリート約600mに屋台、露店等(輪投げ・綿菓子屋・金魚すくい・焼トウモロコシ・リンゴ飴・焼イカ・焼そば・玩具屋・縁起物屋・型抜き屋・アメリカンドック・射的屋・他)が立ち並ぶ」もので、田舎の祭・行事としては1年で3番目に賑わうイベントです。(夜になると、人手は原宿の竹下通りくらい、人がいっぱいになる)
昼だったので、人出はせいぜい(平日、午前11:00の上野・アメ横くらい)だった。
爺さんは、縁起物屋(鋳物で作られた唐獅子、高砂人形、打出の小槌。そして、赤富士、鯉の滝登りの絵画・模造刀・骨董品の皿、壺・水晶(であろう)の玉・等)が陳列してある露店の前で自転車を止めた。
そして、ある1点の品物に目が釘付けになった。
それは、鋳物で作られている「宝船」であった。
追風に帆を張って、大判小判、珊瑚、米俵が山高く積まれ、荒波を漕ぎ進んでいる宝船で、(重厚で渋い)金色の縁起物の作品である。
値段を見ると(6000円)と値札が付いていた。(昭和44年の6000円は高価だった)即、買う事に決めた。
しかし、いざ財布を開くと、中身は3000円しか(伊藤博文が3枚)入っておらず、爺さんは「店主さん(見た目が70歳くらいの爺さん)、そこにある宝船を取っておいてくれ(自分は必ずこれを買う。だから誰にも売らないでくれ《予約して欲しい》。と言う意味)今、手持ち金は3000円しかないが、家に帰って(不足分の3000円)を取ってくるから」と言うと。
店主は、爺さんを(頭の上から足の先まで)ジロリと見渡して、「アンタにゃ、売れねえや」と言った。
爺さんは、とにもかくにも、家に行って3000円を取りに行かなきゃ話にならない、「金が無いヤツには売れない」と言われた、と解釈したらしい。
家に帰り、3000円を用意して、再び露店へ行こうとした時、なんで、あの店主は「アンタにゃ、売れねえや」なんて言ったんだろう?と考え出した。
そういえば、店主は自分を(頭の上から足の先まで)ジロリと見ていた。
「そうか、あまりにも(みすぼらしい格好)だったので、(分不相応に見えたから)かもしれない。」と思った。
最初、露店に行った時は、ランニングシャツ(現在のタンクトップ)に汚い作業ズボン、裸足でサンダルを履いていたのであった。
そして、直ぐ余所行きの「白いワイシャツ、スラックス(現在でいうフォーマルな格好)」に着替え、革靴を履いて再び露店へと向かった。
しかし、再び露店に行くと、そこには「宝船」が無かった。
代わりに「大黒様」の置物が陳列されていた。
爺さんは、周りを見渡し店主を捜したが、どこにも見当たらなかった。
変わりに、若い兄ちゃん(見るからに明るいキャラの若者)が店番をしていた。
爺さん:「兄ちゃん、店主はどこに行ったんだ?」
兄ちゃん:「あ~今、用事があって出かけている」
爺さん:「そこに宝船があったけど・・売れてしまったのか?(自分は)それを予約して、取っておいてくれ、と言っておいたんだ・・」
兄ちゃん:「(宝船が)売れたか、どうかは聞いていない」
爺さんは少し腹が立って「なんだ!ちゃんとした格好で、せっかく6000円持って来たのに・・」と言い、自転車に乗って帰ろうとした。
その時、店番をしていた兄ちゃんが、「あっ、親父さん(爺さんを敬称して)縁が有ったらサ、又おいでヨ(店に来て)」と屈託の無い、明るい声で言ったのだった。
それから暫くの間、爺さんは「あれ(宝船)、欲しかったなぁ」と、婆さんにボヤいていた。
毎回、町に縁起物屋の露店が並ぶ度に、あの「宝船」と同じ物がないか・・と捜していた。
それから数年後の事。
我が家が古くなったというので建替えることになった。
住んでいた家は、昭和34年に建てられた平屋の(バラック小屋を修繕したみたいな、風呂は無い、井戸水を飲んでいた。
前々年、大火になり、町の30%が焼け野原になった。
その為、急遽、立てられた臨時的な棲家)家だった。
親父が「一念発起」して2階建ての家を建てた。
親父は1級建築士だったので、その当時(昭和46年)の建築技術の粋(すい)を集めた最新型の家になった(切詰めた予算内での話です)。
親父、母親の親戚・兄弟に新築のお披露目をして、数日後がたった時の事である。
母親の職場の上司(当時、母親は公務員だった)が「是非、一度、新築の家を見せて欲しい。数年後、家を建替えるので参考にしたい。」という話しになった。
当時、部長補佐・兼課長だった上司(55歳くらい?)である。
人望のある人物(部下からモノ凄く慕われていた人、自分も可愛がってもらい、お年玉を何回か頂いた記憶がある)なので、母親は喜んで迎えた。
課長さんが、我が家に来ると、親父は課長さんに「最新の工法、今流行の洋間の間取り等」を説明し、1階2階の全室を案内していた。
最後に課長さんは、爺さんに挨拶に来た。
爺さんは、お茶・お茶うけ(菓子類)を勧めた。
課長:「いや~、御父さん(爺さんの事)。いい家ですね。自分も(いずれ)こんな家を建てたいモノです。いい勉強になりました。」と話しをしながら、お茶を飲んでいた。
暫くは、ご年配同士の世間話に花を咲かせていた。
課長:「さて、そろそろ、御いとまさせてもらいます」と言い、座っていた自分の後ろから、何やら風呂敷に包んだ「箱」(縦30cm横40cm高さ45cm位の大きさ)を取り出した。
課長:「なにか、気の利いた新築祝いの品を持って来ようと思っていたけど、何も思い付かないので、家にある物を持ってきました。どうぞ、これを飾って下さい」と言って、箱を開けた。
すると、そこには、何と・・・例の「宝船」が入っていた。
爺さんは:「おっ~?△★!○×?※?・・おぉ~」と、声に出せないほど驚いた。(人間、喜び&驚きの限界点・マックスレベルを超えるとリアクションが出来ないみたい)
爺さん:「これ・・は・・」(鳩が豆鉄砲を連発(機関銃)で食らったかの様な表情)
課長:「いや~御気に召すか判らないが、縁起物なので・・・どうぞ、床の間にでも飾って下さい。これから、この家に沢山の福が入って来る様に」と言うと、爺さんは数年前にあった、この宝船との経緯(いきさつ)「出会い(発見)、買えなかった事の悔しさ、そして、ずっと捜していて、もう(一生入手は不可能と)諦めていた事」を話し始めた。
課長さんは「おぉ~、そんなに喜んで貰えるなら、贈り甲斐がありますよ!」と喜んでいた。
当時、爺さんは「生まれて67年、こんなにも不思議で有難い、贈り物は初めてだ」とオイラに言い聞かせていた。
そして、「(当時、公務員だったオイラの)母さんの上司が課長さんだったからこそ(宝船)が我家に舞い込んで来た・・本当に・・不思議な巡り合せだな。」と言っていた。
投稿ネーム(ネーハイシーザー)