オカンから聞いた話。
うちのオカンの方の先祖はその地域をまとめる豪農といわれる家で、また、その地域の治水に携わっていて、工事の際に人柱をたてたという話もある。
その呪いがあるため、オカンの家では後継ぎである男の子が育たなかった。
神社に相談にいったところ、男の子には女の名前をつけるように、また裏庭に神様をまつるように、といわれてそれを守ったところ、無事男の子が育ったため、その後も男の子には女名をつける、ということになった。
ちなみに、現在、実家を取り仕切る伯父も『春美』という名前だけど立派な男。
少し遡るが、今から60年ほど前でまだオカンが学生だった頃の話。
その頃、オカンの父親は地元ではやりたい放題だったらしい。
蔵にある骨董品を売り払って、金を持ったまま数ヶ月行方知れずになり無一文で帰って来ることもあったらしい。
そんなある日、オカンが学校から帰って来ると家の中に若い妊婦がいた。
父親は機嫌損ねて書斎に篭もっていて、母親もカンカンに怒って話にならないので、お手伝いに話を聞くと、どうも父親が東京にいっている間に付き合ってた女で、妊娠して、金がないからと追いかけてきたらしい。
親父は最初は否定していたが、仕舞いには認めて、結局彼女は家で面倒をみることになった。
彼女には狭い離れを改築してあてがわれた。
子供が生まれるまでの数ヶ月、離れからほとんど出ることもなかったが、時々顔を合わせて話をしてみると、その女性は「妊娠してしまい仕事もできなくなり、生活に困って追いかけた、とか、独身だと聞いていたので家にきて、家族がいてどうしていいのかわからなくなった、本当に申し訳ない」と涙ながらに語っていたらしい。
しばらくして、彼女は男の子を出産。
オカンは立ち会っていなかったが、赤ちゃんが生まれたその日の夕食の席で、父親は自分の名前から一文字取り『武志』と名前を発表した。
そして、ニヤニヤ笑いながら「どうだ、男らしい名前だろ」と言ったらしい。
その子は数日後に死亡。
死因は心臓の病気ということだった。
当時の乳幼児の死亡率はまだまだ高かったから、呪いとは無関係かもしれないけど、そういうことを平気でする父親が怖くて、その後母は家を出て、親父と結婚した。
俺を生んだ時、本家ではないものの一応その血を継いでいるから、と心配して、俺も女のような名まえをつけられ、その名前がコンプレックスだった時期もあるけれど、この話を聞いて、この名前はオカンの愛情でもあるんだな、と思った。