エル=バウルにあるレリーフで異星人らしき人物が描かれている。
エル=バウルは中央アメリカはグアテマラ南部高地、太平洋岸斜面、エスクイントラ地方の南部にある先古典期後期から古典期にかけての遺跡である。
長期暦で、7.19.15.7.12?.12(紀元37年)の日付のある1号石碑と古典期中~後期(A.D.400頃~900頃)のコツマルワパ(cotzumalhuapa)様式の7号、27号、30号、50号石碑などで知られる。
7号には、「2の猿」「6の猿」といったメキシコ風の日付けが刻まれている。
1942年に、エリック・トンプソン(Thampson,J.Eric.S.)によって発掘調査が行われ、1948年にカーネギー研究所より報告書が刊行され、当初、古典期後期に位置づけられた。
・猿に似た動物で人間のような体つきだが、目の周囲がのぞき穴のような窓になっていて、それが肩付近までを覆うヘルメットのように見える
・ヘルメット状のものからチューブのようなものが出ていて、背中のタンクに似たものに繋がっている。
・のぞき穴から中をのぞくとマヤの神らしき存在の眉や鼻、口などが確認できる
・口と思われる開口部からは炎に見えるものが噴出している。
一般的にこのレリーフはマヤの球戯を描いたものであり、人物は猿かフクロネズミの皮をかぶっていて、口からみえるのは炎ではなくて抽象化された水、といわれている。
が、一部の研究者は例えるなら異星人を見たマヤの人々が理解できないままに見たものをそのまま写し取った、とは考えられないだろうか、と指摘している。