私には十も歳下の弟がいる。
その弟は時々、おかしなものを見ていた。
中学二年生のころの話だ。
その頃、弟は双子である妹と一緒に保育園に通っていた。
妹のほうは、よくいるちょっとませた女の子だったのだけど、弟のほうは少々変わったところがあったようで、両親はたびたび、保育士さんから相談をされていたらしい。
弟:「ねえちゃん。あれ、なに?」
その日、なにが理由だったか忘れたが、私は学校の帰りに弟と妹のお迎えを頼まれていた。
その保育園は、教室まで直接お迎えに行くのが普通だった。
制服のまま敷地に入るのは気が引けたけど、私もそれにならって教室まで行った。
教室で、弟は床に直接寝転がって、ぽけっと天井を見上げていた。
保育士さんがなにやら声をかけていたけれど、見事に無視していた。
保育士さんが抱き起こそうとすると、めちゃくちゃに嫌がった。
その様を、これまたぽけっとした顔で、妹が見ていた。
妹:「あいつ、なにしてんの?」
私:「わかんない」
妹は、ほわほわと笑った。
弟の奇行を見ても嫌がらず、驚きもせず、妙に泰然自若としていて、こちらはこちらで変わった妹だった。
ともあれ、弟を放置はしておけない。
私は保育士の許可を貰って教室に入ると、弟を無理矢理に引っ張りあげて立たせた。
弟は、やはり嫌がったが、最後には諦めたのか、ずいぶんおとなしくなった。
私:「なにしてんの?」
弟:「あれ、みてた」
弟は天井を指差した。
私が見る限り、よくある普通の天井だった。
私:「あれって、どれよ」
弟:「あっこにくっついとる。虫みたいの。ねえちゃん。あれ、なに?」
私:「どんなの?」
弟:「くろくて、ぴかぴかしてる。あしがいっぱいで、そんで、つのがある」
カブトムシかと思った。
実際、そこまで挙げられた特徴は、カブトムシのものに思えた。
弟:「そんでね、かみがながい」
私:「かみって、髪の毛?」
弟:「うん。あとね、せなかにめがある」
私:「背中に目?」
弟:「でね、くちがでっかい。そんでね、こっちみてる」
黒くて、ぴかぴかしていて。
足がたくさんあって、つのがあって。
髪が長くて、背中に目のある。
口の大きな、虫のようなものが、天井にいて、こっちを見ている。
弟の話を総合すると、そういうことだった。
私はもう一度、天井を見た。
やはり、普通の天井だった。
虫らしきものはいなかったし、弟の言うようなものも、いなかった。
キチキチキチ。
カッターナイフの刃を出す時のような音がした。
弟:「あ、わらった」
そう言って、弟はほわほわと笑った。
私は、なんだか嫌な予感がした。
私:「それ、あんま見るな」
弟:「なんで?」
私:「危ないから。見た目がヤバそうなやつは中身もヤバいって、兄ちゃんも言ってたろ」
弟:「つかまえたい」
私:「ダメ。噛まれたりしたらどうすんの。危ないだろ」
弟:「でも、さっきまでゆかにいたから」
弟:「ちょっとさわっちゃったけど、なんもなかったよ」
私はなにも聞かなかったことにして、弟と妹を連れて帰った。
そしてまっすぐ神棚に行って、どうか双子が変なものに襲われたりしませんように、とお願いし、一人で食べようとこっそり買っておいた、高いチョコレートをお供えした。
そのあと仏壇にも行って、同じように手を合わせた。
私の真剣な祈りが通じたのか、あるいは高級チョコの力かはわからないが、その後も双子は元気いっぱいで、怪我も病気もしない健康優良児だ。
保育園でなにかあったという話も聞かないから、他の子にも被害はなかったんだと思う。
あれの正体については、やぶ蛇になるのも嫌なので、調べたりはしていない。
だから全くの謎だ。
でも、決していいものではなかったと今でも思っている。
弟はその後も時々、おかしなことを口走った。
けれど、小学校に通いだしてからは少しずつ減っていって、中学にあがるころには、そういうこともなくなった。
ただ、それは口にしなくなっただけで、もしかしたら今でも、なにかおかしなものを見ているのかもしれない。
時々、なにもない場所を見てはこっそり顔をしかめているのを見ると、そんな風に思う。