クズな生徒とクズな教育委員会

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

大阪の高校の体罰と成人式の報道で思い出したので実話。
以下の人名はすべて仮名です。

小学校の同級生に勝田という男子がいた。
彼は威張りちらし嫌味ったらしく、すぐ手が出る短気な性格だった。
もちろん好かれてはおらず、中学に進学後はそこに加え先生を馬鹿にするような言動に拍車がかかっていた。

勝田が馬鹿にする中の一人に、沢村先生という体育教師がいた。
絵にかいたような熱血漢で、曲がったことが嫌い。
正直うざいな、と思わないこともないが概ね生徒からは好かれていた。
自分は一年の時のクラス担任で、御世話になった。
松岡修造ばりの熱さで親身になってくれた。

中学二年の初夏だったかな。
沢村先生は勝田のクラスの担任だった。
嫌味で屁理屈ばかり言う勝田は沢村先生と当初から反りが合わなかったらしい。
そんなある日のことだ。

掃除の時間となったが、勝田は机の上にプラモデルか何かを出したまま動かなかった。
それを見咎めた沢村先生が注意するも、勝田は馬耳東風。
カッとなった沢村先生は、勝田のプラモデルを窓から中庭に投げ捨てた。

勝田は沢村先生に掴みかかり、先生も応戦し喧嘩になった。
しかし、先生は五十は過ぎていたとはいえ体育教師だ。
力で捩じ伏せ、勝田の頭を押し付け窓ガラスを突き破った。

その頃に別の先生がやってきて、二人を引き剥がした。
勝田は頭を数針縫う怪我をしたが、嫌われ者だったので同情する生徒はいなかった。
それよりも、沢村先生の処遇を案じていた。
傍目から見ても、生徒に暴力を振るってしまったわけだからだ。

それから、沢村先生は学校に来なかった。
そして、入院もしていないはずの勝田も来なかった。

半年後くらい経っただろうか。
ある日新聞の地方面の隅に小さく、名前は出ていなかったが、その事件のことが載った。
詳しくはうろ覚えなのだが、沢村先生は停職数ヶ月という処分だった。
しかし、そのまま依願退職していた。

もちろん沢村先生はやりすぎた所もあるだろうが、嫌われ者の勝田が発端なのにお咎めなし。
正直、腸が煮えくり返った。
それは、自分以外も同じだったらしい。

翌朝学年の掲示板に誰かが新聞のその記事を切り抜きを貼り出した。

「勝田はんにん沢村返せ」

新聞記事から個別に文字を切り抜いて作られた文章も一緒に、すぐさまそれは剥がされたが、他の先生達が積極的に犯人を探したという話は聞かなかった。

そのうち勝田はなに食わぬ顔で学校に来るようになり、沢村先生の話は同級生の間ではタブーのようになった。
やがてそのまま卒業を迎えた。

自分も高校、大学と進学し沢村先生の記憶は薄れていった。

大学二年のある日のことだった。
地元の駅で、沢村先生に偶然再会したのだ。
先生が自分の顔を覚えていてくれて、声をかけてきた。
そこで、はじめて事件の後の詳しい経緯を聞いた。

勝田は沢村先生からの暴力でPTSDになったと主張したらしい。
そのため勝田の両親は賠償を求め裁判を起こし、勝った。
直接そのお金を払ったのは教育委員会だ。

しかし、今度は教育委員会が勝田に払った分のお金を返せと先生を裁判所に訴えた。
今はその裁判の途中だと話す沢村先生の顔は、記憶の中より老けて見えた。

勝田は沢村先生から仕事を奪っただけでは気がすまなかったのか、PTSDになったなんて、正直昔から彼を知っている人間からすれば明らかにありえない。
学校に来るようになった後に「沢村をやめさせてやった」と言っていたのも聞いている。
成人式で姿を見かけたが、あの不遜な態度は変わってはいなかった。

勝田みたいなクズのせいで、未だに沢村先生は苦しんでいることを思えば、やはり釈然としない。

酒を呑みか笑いしている勝田の姿が目に入る同窓会は、楽しいものではなかった。

やるせないというか、行き場のない怒りのようなものがある。
胸にずっとつっかえていて、どこかに吐き出したかったんだ。

長々すまない。
文章も上手くまとまっていなかったら申し訳ない。

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