ある意味、死者に招かれたのかもしれない

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

実話な。

2005年のJR福知山線脱線事故のドキュメンタリを、ナショナルジオグラフィックでやってたんだ。
まぁ、外国製作らしいクサい演出もあったんだけど、生存者や、生存者家族のインタビューが多くて、見る価値がある番組だったと思う。

滋賀県に長谷貴將(はせたかのぶ)さんっていう、救急医療のスペシャリストのお医者さんがいた。
ニュースで事故を知って、レスキュー隊だけじゃ現場に手が足りてないだろうって、自発的にチーム率いて、二時間掛けて大阪まで行ったそうな。

一両目。
足が下敷きになっちゃって激痛に苦しんでる男性のとこに長谷医師が行って、現場気温40℃を超える中でまず「済生会、滋賀県病院の、長谷貴將といいます」って自己紹介したんだって。
「普通に病院に行っても、まず自己紹介するようなお医者さんには会ったことがありませんでした(笑)」って、そこのインタビューだけ何だか和んだ。

痛くて痛くて、早く瓦礫どけて助けてくれー!ってなってる男性に、長谷医師がクラッシュ症候群の危険を昏々と説明して、「服を切らせて頂きますね」とか丁寧な物腰を崩さなかったので、感激したって言ってた。

一両目から運び出された他の女性がほんとに重篤だったんだけど、長谷医師と、一緒に来たチームのアキトミ医師の二人も、必死に救命活動しながら病院まで付き添って行って、その女性も助かった。

障害が残ったけれども笑顔が戻った女性と、女性の母親と、アキトミ医師の3ショットの映像は素晴らしかった。

しかも、その女性をヘリで送り届けた後でも、チームは現場に戻って来てまた何人も助けてんだよ。
もう生きた人間は居ないんじゃないか?っていうぐらいの地獄の現場。

一両目、運転手の死体の傍で7時間耐え続けてた大学生もその一人。
クラッシュ症候群って、現場での救急医療が何より大事なんだよな。

もし長谷医師のチームが来なかったら、死者が増えてた。
こんな医者が居るのか!って本当に感動して番組を見終えた。
・・・までは良かった。

突如黒くなる画面。

『この番組を長谷貴將医師に捧げます。彼は2006年に亡くなりました。』

はぁ!?死んだ!?
信じられなくて、色々調べた。

最初は、忙しいから不摂生とかして病死されたとか、事故死とか色々楽観的なこと考えてたよ。
でも現実は最悪だった。

自殺だ。
事故から1年ちょいしか経たない内に、自ら命を絶ったんだ。

以下、当時のニュース記事からコピペ。
・救命活動が全国に知られ、病院側の指示で講演や会議への参加などが増えた。
・病院は〈広告塔〉として、講演や研修活動に取り組むよう指示した。
・病院側は長谷さんの赴任前から提示していた「(救命救急センターに)2人の部下を置く」という条件を実現させなかった。
・このため、多忙を極めた上、同僚から中傷を受けるなどして、うつ状態に追い込まれていた。
・講演や会議などの対外活動が増えると、やっかみとも取れる不評が院内から噴出。同僚医師からは「それでも救急医か」「こいつの言うことは聞かなくていい」などと罵倒された。

・亡くなる前日には、長谷さんが準備に心血を注いできた、済生会主催の学会で英国人医師を招請する企画をめぐり、事務担当者と対立。
それまで企画を支援してきた病院幹部からも「一晩頭を冷やせ」と冷淡な態度で突き放されたことで決定的に追いつめられた。

遺品の中から見つかった長谷さんの手帳には、スケジュールがびっしり書き込まれていたという。
長谷医師は、脱線事故の現場を振り返って「自分が死んでもいいと思っていた。とにかく被害者を助けたかった」と話していた。

本当は長谷医師は、公演や会議なんか置いておいて、いつでも現場に居たかったんじゃないだろうか。

東日本大震災の時にこんな人が居てくれたら、と思い、でももう居ない死んだんだ、という思考の反復を今でも繰り返して、後味悪い気分を味わっている。

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