僕がコンビニのバイトをしてた時の話。
東京のローカル線の駅前にあるコンビニで、僕は大学生のころ深夜のアルバイトをしていた。
その店の店長のUさんがとても変わった人だった。
Uさんはものすごく人当たりのいい人で、お客さんはもちろん、バイトにもとても優しい人だった。
元々同じコンビニのアルバイト上がりのUさんは、当時24歳で年の近い僕をとてもかわいがってくれ、僕も兄のように慕っていた。
Uさんは本当に誰にでも優しいんだけど、実は元喧嘩狂いのばりばりのヤンキーだった。
これは隣町に住んでいた同じバイト仲間の証言で、Uさんは地元ではかなり有名な人だったらしい。
そのせいなのか、Uさんはどんな人に対しても物怖じをすることがなかった。
ヤンキーからヤクザ、キチガイから外国人まで、どんな人にも同じように丁寧に接し、相手が度を超えた悪さをすると、首根っこを掴んで店の外まで引きずり出すような怖い一面もUさんにはあった。
でもあくまでそれは相手がバイトに手を出すだとか、商品をわざと傷つけるような度を超えた悪さをした時であって、それ以外の時はとても腰の低い人だった。
そんなUさんと、たまたま深夜のバイトが一人病欠した時にパートナーを組んだ事があった。
その日は日曜日で、終電が終わり一時半の商品の搬入が終わると、雑誌が搬入されてくる午前三時半までは何もやることがなくなった。
そんな日は馬鹿話をして時間を潰すか、さもなければ交代で休憩を取るのが常だった。
その日は明日の発注をやるからと言うことでUさんが表に出て、僕は事務所に引っ込んで返品するために回収した古い漫画の単行本を読んでいた。
ところで、どこのコンビニでもそうなのだが、コンビニはお客さんが入ってくると事務所にメロディーが流れるようになっている。
僕はさすがにUさんだけに店を任せるのが悪いと思い、お客さんが来たら代わりにレジぐらいには立とうと思っていた。
それで漫画本を読みながらも、僕は耳だけはすましていた。
でもその日、雑誌の搬入までの間、メロディーが事務所に流れることはなかった。
そうして数十分の間、僕は漫画を読むことに没頭していた。
漫画を何冊か読み終え、さすがに飽きてきた僕は大きく伸びをして、事務所にある監視カメラのモニターをちらりと見やった。
すると、モニターにはカウンターで接客をしているUさんの姿が映っていた。
メロディーを聞き漏らしたかと思い、僕は慌てて事務所を後にしようとしたが、そこで、僕の目はモニターに映った映像に違和感を覚えた。
元々あまり鮮明ではない監視カメラの映像に加え、店内にある五つのカメラの映像がモニターを分割して同時に映され一つ一つが小さかったせいもあり、顔を近づけてみてもはっきりと映像は見ることが出来なかった。
そこで、僕はモニターの下のスイッチをいじってレジ前の映像だけをモニターに映し出した。
そうして拡大されて映し出された映像には、全身血みどろの女性がUさんをカウンター越しに睨みつけているところが映し出されていた。
僕は始め意味が分からず、どういう状況なのか整理しようと頭を働かせていたが、その内、それが有り得ない映像であることに気がついた。
一つ目は入り口からその女性が立っているところまで、まったく血が垂れた跡がないということ。
女性は服が赤く染まるほど血を流していたから、床に一滴も垂らしていないというのは明らかにおかしかった。
二つ目は、女性の頭がどう見ても欠けているように見えると言うこと。
女性の頭は囓ったあんパンのように湾曲してへこみ、そこに血の塊のような物が溜まっているように見えた。
僕は何度も否定しようとしたが、どうしても僕にはその女性が生きている人間だとは思えなかった。
僕は見慣れた店内の有り得ない光景に動転し、頭が真っ白になったままモニターを見続けた。
そんな女の人の前で、Uさんは腕を組み仁王立ちをしてその女性を睨み返していた。
数分だろうか、数秒だろうか、頭が真っ白になった僕には時間の感覚が定かではなかったが、突然、その真っ赤な女の人の腕が動き始めた。
その腕は真っ直ぐレジの上の監視カメラを指さすと、続いて、ゆっくりと顔を監視カメラに向けた。
その監視カメラの映像を僕は事務所で見ていた訳で、それはまるで僕を指さしてるように思えた。
女性の顔は血で張り付いた髪の毛で殆ど見えなかったが、僕はその女性とモニター越しに目が合った様に感じた。
とても恐ろしかった。
僕は全身から脂汗を流して震えながら、モニターを見つめ続けた。
変な言い方だけど、目を離したら直ぐにでも殺されるように僕は感じていた。
そのまま数秒目を離せずにいると、女性がまたゆっくりと動き始めた。
女性はカウンターに背を向けると、店の奥に滑るように進み始めた。
滑るようにと書いたが、実際は凄くゆっくりとした動きで、まるでカタツムリだとかナメクジが這っているような感じで女性は進んでいた。
どこにむかっているのだろう?
そう思っていたのは本当に一瞬だけで、僕は直ぐに気がついた。
女性が向かっている先には、事務所の入り口がある事に。
僕は半狂乱になって事務所の扉に走った。
僕は走りながら、事務所の扉は引き戸で鍵がついていないことを思い出していた。
鍵がないせいで入ってこようと思えば、鍵が掛かっていない扉はすんなり開いてしまう。
だから僕は急いで扉に張り付き、扉を手で押さえて開かないようにするしかなかった。
扉を押さえながら顔を上げると、事務所の扉の丈夫にはめ込まれた半透明のガラスから、徐々に赤いなにかが近づいてくるのが見えた。
僕は再び半狂乱になり、まだ誰も扉を開けようとしてはいないのに全力で扉を押さえていた。
耳には徐々に近づいてくるなにかを引き摺るような湿った音が聞こえてきたが、不摂生だけが売りの僕のような駄目大学生に体力があるはずもなく、扉を前にした攻防の前に僕の腕は早々に力が尽きて震え始めてしまった。
それでも痺れ始めてきた腕に何とか力を込めて扉を押さえていたが、突然、扉はものすごい力によって開けられてしまった。
僕は咄嗟に頭をかばい体を丸めてその場に座り込んだ。
恐怖で全身は震え、涙と脂汗が鼻の先から床に垂れるのを僕は感じた。
もう駄目だ。
殺される。
僕は頭の中でそんな事を考えていた。
でも、いくら待ってもなにも起こることはなかった。
恐る恐る顔を上げると、開け放たれた扉の前には誰もいなかった。
僕はよろよろと立ち上がり、あたりを注意深く確認しながら事務所を出た。
そこは、お客さんがいないせいで店内放送のラジオの音ばかりが大きく聞こえる、いつもの深夜の店内の様子があった。
そうして唖然と立ち尽くす僕の目に、店の自動ドアから店内に入ってくるUさんの姿が映った。
「おい、棚から『はかたの塩』とってくれ」
Uさんはそう言って、ソースやケチャップを並べてある棚を指さした。
僕がよろけながら棚に近づいて塩を取り手渡すと、Uさんは何事もなかったかのようにそれを受け取った。
受け取ったUさんはカウンターの外からレジを操作してバーコードを打ち込むと、自分の財布から小銭を取り出して会計を済ませた。
するとUさんは袋を千切るようにして手で開け、外に向かって力士のように塩を撒き始めた。
「お前、ちょっと外に出て」
そう言われて外に出た僕に、Uさんは叩き付けるように塩を何度もかけた。
そうして一袋分塩を巻き終えると、「休憩するべ」と言ってUさんは事務所の中に入ってしまった。
後を追って僕が事務所に入るとUさんは煙草に火を点け、深く煙を吐いていた。
「ああ、びっくりした」
一本目の煙草を吸い終えた時、Uさんはそう呟いた。
Uさん曰わく、カウンターの中で発注端末を使って発注業務をしていたら、突然あの女性が目の前に立っていることに気がついたそうだ。
女性が血だらけなのに気がついたUさんは、はじめ大けがをしてるのだと思って慌てて声をかけたらしい。
でもUさんは、どう声をかけても反応しないその女性を不審に思いよく見たところで、初めてその女性が生きた人間でないことに気付いたと笑いながら話していた。
物怖じしないUさんはどうやら幽霊を見ても動じないらしく、気付いた後もさてどうしたものかと悩んでいたらしい。
そうして悩んでいるUさんに、その女性はぼそぼそとなにやら話しかけてきたとUさんは言った。
「いっしょに来てくれる?」
僕が聞いたのはそう話すUさんの野太い声の筈なのに、同時に、僕の頭の中では水の中から聞こえるような湿った女性の声が聞こえた。
そう言われたUさんは、「仕事中なのでスイマセン」と間の抜けた返事をしたらしいのだが、そう言った瞬間、その女性からものすごい悪意のような物が溢れ始めたと眉間に皺を寄せてUさんは語った。
こりゃなんかとんでもないモノに目をつけられたな、そうUさんは思ったと語っていた。
売られた喧嘩は買ってやる、そんな気持ちで思わず睨みつけてしまったと、Uさんはばつが悪そうに頭を掻いた。
そうこうして睨み合っているうちに女性が監視カメラを指さしカウンターから離れたので、あきらめて帰ってくれるのかと思ったと、Uさんは二本目の煙草に火を点けながら話していた。
ところが女性が店の出入り口を越えて事務所の入り口に向かったので慌てて後を追ったらしい。
Uさんが女性に追いついたところで、「お前が駄目なら、あいつを連れてく。邪魔するな」と女性は確かに呟いたとUさんは語った。
「そう言われた瞬間に、オレのバイトに手を出す気かコイツ、って頭に血が上っちゃってさ、オレ、思わず髪の毛掴んで店の外に引き摺り出しちゃった訳よ。女の人に手を出すなんて、オレサイテーだ」
そう言いながら怒られた少年のように肩を落とすUさんを見て、僕は思わず吹き出してしまった。
そうこうしている内に雑誌を運んできた業者のおじさんが事務所に顔を出し、僕とUさんはなんだかよく分からないまま業務に戻った。
そうして雑誌の搬入が終わり、続いて朝刊が届けられるとぽつぽつと店にお客さんが来はじめ、そのまま、いつものように忙しい朝の業務が始まった。
結局、あの幽霊が何だったのか、なんで突然店に現れたのかは分からずじまいだった。
でもそれ以来僕とUさんの絆は深まり、ごく希にではあったが、店長とバイトという関係を越え、時折一緒に遊びに行くようになった。
そしてあの時見たのが何だったのかを語る内に、僕とUさんは心霊スポットを巡る様になった。
「もう一度見れば、比べて検証できるだろ。一回だけじゃわからねえよ。データは多い方が、正確に予検証できるからな」
そう言ったのはUさんだった。
僕もその発言に同意したので大きな事は言えないが、その発言の時Uさんは、発注端末に映し出されたおにぎりの過去の販売実績とにらめっこをしていたことが、どうにも気に掛かってしようがなかった。