怖くもないし実体験でもない伝聞になるんだけど良い?
俺がまだ大学生だったころの話。
真っ赤な服きたおネーさんたちが紙袋に入ったモデムを手渡ししてたころ。
WEBチャットのひとつで、俺は自称・霊能力者のDさんと出会ったんだ。
平日も土日祝日も関係なくチャットルームに常駐してるものだから、Dさんは長老とか常駐ボットとか皆には呼ばれてた。
なんでDさんが現代のソシャゲ廃人並みにネット依存してたかって言うと、Dさんは日常生活に支障をきたすレベルで見えすぎちゃう人だったのよ。
会社勤めなんて当然のように無理で、バイトさえも無理。
もう大学生って歳でもないからリアルの人間関係もズタボロだったわけ。
言ってしまえば、Dさんは寂しかったんだと思う。
Dさん、履歴書の上では30過ぎの無職のオッサンだからね。
いまでこそニートとか嘲笑交じりで社会認知されてるけど、30過ぎていまだに職歴無しの無職のオッサンとか、当時は現在に輪をかけて人間扱いされてなかったからな。
乾いた草すら生える余地のない不毛地帯だよ。
マジで。
この時点でリアル怖い話なんだけど、本編はDさんから俺が聞いた話ね。
「本当は言っちゃいけないんだけど~」って前置きで言い訳をしながら、聞いてもないのにDさんが話してくれたオカルトなお仕事の話。
とある大学のゼミ生、男性3人、女性2人の計5人がキャンプ旅行を計画した。
キャンプの予定地はよりにもよって青木ヶ原樹海。
どうして青木ヶ原樹海になったのかと聞けば、男性3人が悪ノリしたことと、女の子のひとりが自称・霊感がある子だったからだそうだ。
もうひとりの女の子は「趣味が悪い」と一応の抵抗を口にはしたのだけれど、自己主張が苦手な性格だったこともあり、多数決に押し切られる形で参加することになった。
これが間違いの始まりだった。
現地までは親の車を借りて向かった。
東京を朝に出発し、到着したのは昼過ぎのことだった。
青木ヶ原樹海は樹海というだけあって木々が鬱蒼としげり、見上げた空の面積は狭い。
けれども、太陽が空高くにあるうちは枝葉のあいだから差し込む数多くの木漏れ日が地面を照らしだし、ここが本当に自殺の名所なのかと疑いたくなるほどに明るく、密集した樹木特有の香りが漂う、緑の森の心地の良い一面ばかりを見せていた。
「怖くねー。全然怖くねー。期待外れだわこれ」
彼らのうちの誰かが言った。
自殺の名所として陰鬱とした森の情景を期待していた彼らは肩透かしを食らった形となり、このことが彼ら一行を調子付かせる原因となる。
キャンプの荷物を背中に担ぎながら、樹海の奥へ奥へと足を進めていく。
昼間の樹海にはオドロオドロしいところは一切なく、足取りならシッカリとしていた。
内心では自殺の跡や現場に出くわさないかと半分怯えていたものの、そこは人数にものを言わせて振り切った。
雑談を交わしたり、冗談を言っておどけてみせたり、大声で歌を合唱してみたり、色々だ。
本音を言えば、この時点で5人揃って「もう引き返したい」と思っていたのだけれど、誰もそれを口にしないものだから、彼らは結局、樹海の奥深くまで足を踏み入れることになってしまった。
口から出るのは、もう空元気の言葉ばかりだ。
森は明るく心地よく、自殺者の痕跡に出会うような不幸な偶然もなく、誰かひとりが「引き返そう」と言えばそうなったのに、誰もが引き返すことを口にし難い雰囲気になっていた。
だから、誰も口にしなかった。
Dさん曰く、彼らはこの時点で誘われていたらしい。
太陽が真上にあったときはあれだけ明るかった森が、日が傾き始めれば木々がどんどんと濃く黒い影を伸ばしだし、木漏れ日は薄暗く、彼らが望んでいた自殺者に相応しい陰鬱な樹海の情景へとすがたを変えていった。
身動きが取れないほどの暗さではない。
足元に気を付ければ十分に歩けるだけの明るさはあった。
方向感覚を失ってもいない。
引き返そうと思えば引き返せる。
ただ、振り返って目にした森は木々と昏い影に覆われて、道を閉じてしまったかのようだった。
背筋を一滴の汗がつたう感触を覚え、「引き返そうか」と男のひとりが口にした。
「無理」と言ったのは霊感があると自称していた彼女だ。
どうして、という問いかけに、「見られてるから、無理」と彼女は答えた。
彼女の言葉で周囲を見渡せば、立ち並ぶ鬱蒼とした木々と、それから伸びる昏い影ばかりが目に映る。
空は伸ばされた枝葉の囲いに遮られていた。
一瞬、樹海という巨大な生き物に飲み込まれたかのような感覚を覚え、ぶるりと身を震わせる。
誰かに見られているような気がした。
これから進もうとする先のほうから、これまで進んできた背中のほうから。
右も左も、周囲のどこからということもなく、そのすべてから。
木々の背後には誰かが隠れていて、青白い顔だけをいますぐにでも覗かせようとしている、そんな気がした。
「なにジロジロ見てんだ、オラァ!!」
怯えまじりの大きな怒声を耳にして、ビクリと身を竦めていた。
「どうしよう?」
瞳の端に涙を滲ませながら、もうひとりの女の子が誰となく尋ねる。
「引き返そう!!」と彼は言った。
「無理!!見られてる!!」
言葉を遮るように霊感を持つという彼女が言った。
場の空気に飲み込まれて黙っていた男が突然走り出した。
転んだ。
ゆっくりと起き上がって、「帰る!!」と叫んだ。
彼のあとを追うようにして、残りの4人も走り出し、そして転んだ。
足の先が掴まれ、森のなにかに帰ることを邪魔されているかのように感じた。
その後のことは支離滅裂になる。
樹海に向かった5人それぞれの記憶に食い違いが起きていて、いったい誰の言葉が正しいのかわからなくなったからだ。
全員が一致している記憶は3つだけだ。
昼過ぎに入った樹海から脱出できたのは深夜も遅くになってからだった。
男のうちのひとりが、ずっと怒鳴り声をあげて周囲を威嚇し続けていた。
なにかが足の先を掴んできて、まっすぐに歩くことができなかった。
この3つになる。
樹海から帰ってきて以来、5人はさまざまな霊現象に遭遇し悩まされることになった。
ラップ音や金縛りに始まり、視界の端を影が走ったり、自分一人の部屋に誰かの気配を感じたり、夜中に目が覚めると歪んだ顔をした大勢の男たちの黒い目が自分の寝顔を覗き込んでいたり、それはもう散々だったそうだ。
ひとりなら、ただの偶然、思い込みだと思えただろう。
けれど5人揃ってとなると、これはもう偶然だとは考えられなかった。
5人は初め、お寺に駆け込んだらしい。
住職さんも寺を預かる身の手前、彼らの悩みを無碍にすることもできず一応の読経はあげた。
けれども、彼らを襲う霊現象の数々は一向に収まる気配をみせなかった。
そこで知り合いの、正確には知り合いの知り合いの、そのまた知り合いくらいに当たるDさんにお鉢が回ってきたという話だった。
5人からここに至るまでの経緯を聞いて、Dさんはゆっくりと頷いた。
ここからはDさんのターンになる。
確かに彼らは青木ヶ原樹海から、おそらくは自殺者のものであろう霊を連れ帰っていた。
けれども霊の側には特別な悪意や執着があるわけでもなく、霊現象の大半は彼らの思い込みだと感づいていた。
ひとりを除けば他は放っておいても構わないだろうという程度のものだった。
ひとりというのは最初に樹海へ行くのを渋っていた女の子で、彼女には男性の霊がたくさんついていた。
「なんで?」と、尋ねたのは俺だ。
Dさん曰く、「女の子の顔が可愛くて性格が優しそうだったから」。
女の霊はそうでもないが、男の霊は女につきやすいそうだ。
理由は、男だから。
霊にも好みの女性のタイプがあるのか、自称・霊感がある女の子よりも酒井法子に似た女の子のほうにばかりついていた。
幽霊になっても男というのは男らしい。
自分の下半身に正直だ。
情けない。
Dさんの除霊のしかたはとても変わっていて、それは神社仏閣を巡ったり、繁華街を歩いたり、果ては遊園地で遊んだりするというものだ。
そして霊がなにか珍しいものに気をとられているうちにさっさと逃げだして置き去りにするという、霊にとっては迷惑極まりない悪質なものらしい。
新宿は歌舞伎町、アルタ前から始まって池袋まで徒歩で向かい、山手線を時計回りにブラブラと電車で移動しながら渋谷へ、明治神宮を通り抜けて竹下通り、銀座方面へ向かって東京駅から千葉は浦安のTDLへ、ナイトパレードの電飾を目にする頃には、ほとんどの霊が迷子なっていたそうな。
統率のない幼稚園児の遠足を想像してほしい。
大体、そんなものらしい。
「霊能力バトルとかそういう展開は無いの?」と俺が聞けば、「そういうのは漫画のなかだけ。戦うとか祓うとか霊の意思を正面から否定する行為は、つまり霊に真っ向から勝負を挑むってことだから、向こうだって殴られれば殴り返してくる。危ない」とDさん。
ぬ~べ~とか霊幻道士を見て育った世代だから、俺、しょんぼり。
当事者である5人の大学生も、おごそかな儀式めいたものを期待していたものだから、半信半疑が3:7の割合だったけれど、歩く道の方位と順番に意味があるとか、適当なオカルト知識を披露して騙しておいたそうだ。
ついてた霊も、なんか勝手に納得してたらしい。
TDLのあとは霊の話はしないようにとか、樹海の話はしないようにとか、とにかく今回の件に関連することは一切口にしないようにと、基本的な注意事項を説明して、5人には三か月ほど新宿よりも東側には行かないようにと、Dさんが釘を刺して解散した。
もともと霊現象に遭遇したのは、5人の行動が悪かったらしい。
そもそも面白半分で青木ヶ原樹海へ入ったこと自体が悪いのだけど、それよりもっと良くないのは、霊現象について5人がお互いに相談し合ってたことが悪かったそうだ。
幽霊の目の前で幽霊の活躍ぶりを話すものだから、彼らも相当にテンション上がっちゃっていたらしい。
Dさん流の除霊を行ってからは目に見えて霊現象は少なくなり、やがてはピッタリと納まり、5人は普通の大学生活に戻れたという話。
で、Dさんはこの一件だけで百万超えの帯付きの現金を手にしたそうだ。
Dさん曰く、「税務署が怖い」らしい。
脱税、よくない。
「本当は言っちゃいけないんだけど~」というのはこのことね。