皆さんは何気ない偶然が後に必然だと気づいた事ってありますか?
某地方国立大学の大学院生をやっています。
以前からこのスレを見ることはあったけど、僕は文章を書くのが苦手だし正直書くか書くまいか悩んでた。
人の運命ってのは偶然っていう必然性の中に囚われている様な気がしてならない。
少なくとも僕達姉弟はそれぞれ変わった経験をしながら生き、僕はそれをいつも眺めているだけしかできなかった。
だから何かできることは無いか考え誰かに伝えるべきなのかもしれないという結論に至ったんだ。
僕の曾祖母(ひいばあちゃん)は生前とても霊感の強い方と言われてました。
僕の二人の姉も子供の頃霊感があったらしい。
曾祖母(ひいばあちゃん)の土地にはオシラサマを祭っていたそうなので確かな話なんだと思っています。
しかし理系人間の僕はあまり幽霊だとかの存在は信じてません。
それ故に逆にこの手の話はたまらないですし、そういった映画も良く見ます。
ゾワゾワくる感じはたまらないw
それでも、どうしても納得のいかない体験がある。
あれは中学校に入学して、学校から配布された日記の三日目を書いた日に起きた事だった。
その日、夕方、買い物から帰ってきた高校生の真ん中の姉は何故か茫然としてた。
「あのさ・・・」
今にも泣きだし徐に口を開く姉。
「人が死ぬとこ見た・・・」
上の姉は「マジで?」と言いながら真ん中の姉を抱きしめた。
あの日も僕は何もできずただそれを見ていた。
「ゆっくり話してごらん?楽になるから」と上の姉は言った。
「あそこの横断歩道のところの・・・電車で・・・」
そうしゃべると姉はヒステリックに泣きじゃくった。
田舎の人は分かるかもしれないけど僕の街のには踏切のない線路がある。
線路は繁華街と住宅街を丁度遮るように掛けられているもんだから、その上を人が通る事なんて日常茶飯事だった。
僕の知ってる限りで、そこで電車にはねられた人は三人いる。
その一人を姉が目撃してしまったということだ。
被害者は姉と同じ高校の人で自転車で横断中に電車に跳ねられ亡くなったそうだ。
死後痙攣はなく即死、ひどい顔をしてたと・・・。
当時の僕にはグロテスクな話だった。
姉は事故発生時、間違いなく第一発見者の一人だったと思うが、気が動転してしまい、買い物をしてそのまま帰ってきてしまったらしい。
ドジで残念な姉だ。
夕食までの間、僕たち姉弟は三人で泣き母は気を利かせて美味しそうなご飯を作ってくれた。
少し落ち着いてから僕は習い事の稽古に行くことにした。
僕は稽古に夢中になり、そんな事なんてすっかり忘れてしまっていた。
稽古が終わると父が向えに来てくれた。
コンビニに寄ってから家に帰る手前の橋を渡る途中、僕は面白いものをみた。
それは空から山の奥にゆっくりと降りてきてしかも明らかに高い位置にいた。
四月だから花火はあり得ないし余りにも落下速度が遅すぎたし流星にしては明る過ぎる・・・。
なにより「それ」はオタマジャクシみたく尾を引いていた。
打ち上げ花火を丁度逆に上げたみたいな感じ。
距離からして尺玉位の大きさだ、絶対におかしい。
僕は驚いて父にあれはなんだ?と尋ねた。
父は咄嗟に車のブレーキを踏んでそれをみて「何だあれ?」と繰り返した。
父と僕は好奇心に狩られてその光が落ちた辺りを捜しに行ったんだ。
それくらい不思議な物だった。
30分程度探したけれど花火をしてる様子もなく僕たちは諦めて家に帰り本当に何だったんだと首を傾げながら宿題を済ませ、日記を書いて寝た。
とても不思議な日だった。
次の日、運命が唐突にフラグを回収しにきた。
母は妙に落ち着きが無かった。
父が見つけた新聞記事を読んだからだ。
見慣れた住所と見慣れた名字。
そして、予感は的中。
電話を片手に母は泣き崩れた。
姉が見た高校生は僕らにとっての二従兄弟(ふたいとこ)にあたった。
直接話した事はなかったけれど、近くに住んでいるし少なからず我が家とも関わりのある人だった。
中学では先生達も葬式に向かい映画とかドラマとかでもないのにそういうことって普通にあるんだと思った。
僕は例の如くただの傍観者に過ぎなかったけどね。
とにかく最悪の事故だった。
僕は帰省する度に父と話す。
僕達の見た光はなんだったのかと。
そして僕はある事に気がつきたどる記憶と共にもしやと父に確認を取った。
すると父は静かに「あぁ、そうだ」と頷いた。
あの光が落ちた付近。
父と僕が『それ』を探した辺りというのがまさに亡くなった彼の家の付近だった。
あれは本当に気持ちが悪かった。
しかも目撃者が二人いる。
当然友人は誰も信じなかったけどね。
以上、理系の僕にとって納得できない経験でした。